天下りについて
前に私は天下りは国益にかなうと書いた。けっこう大勢の方々からその通りだと言う賛成の意見が寄せられたが、先日の産経新聞に曽野綾子氏が「天下り」を一概に悪いとする論は、高齢化社会に向かう今後において、誰もがもっと長く働かねばならなくなり、人材もとことん使わねばならなくなる「モッタイナイ」の大原則に反すると書いている。
氏は官僚だって、官庁の定年を迎えたあとも、大学生の息子や娘がいて、もう少し働きたいと思うのは当然で、再就職して老後の生活を成り立たせなければならないのは当たり前である。
「天下り」をする人たちは、やはり長い経験による知識と人脈の蓄積を持つ人が多い。
それを利用しない法はない。
本当に役に立つ人材が、払う金に見合う仕事をしてくれるなら、私企業も歓迎するはずだ。
ただし見合う仕事というのは、前の勤務先との裏取引でないのが条件だ。
正当な人材を長く使うためには、定年以前から、どういう人がどういう独特の考え方や技能を持っているかを発表できる場をそれぞれの官庁で 職員が自由に投稿できる機関紙、大学の研究論文の「紀要」のようなものを作ってあげて、社会は長い年月をかけてヘッドハンテイングの資料にすればいい。
「天下り」先から出る報酬は30万前後が適当で、退職金等は一切なし。通勤用の専用の自動車等もなし。
ただし出勤時間はフレキシブルに決めていい。こうゆう原則を決めてそれを維持すれば、優秀な官僚にボランテア精神で働いてもらうことが出来、国益にかなうと書いている。大賛成である。
優秀な官僚と言う言葉を使ったが、もちろん彼らが全部が優秀なわけではない。
この際、人生世俗的成功ということは何を意味するであろうか、等ということを考えてみた。
子供のころは親の庇護の下で育てられ、順調に学校を出て就職し、結婚して子供を生み育てる過程の中での満ち足りた家族関係それを保障し補うような友人、知人、そして一般社会との関係。
その裏付けとなる物質的条件、そして出来るなら社会的にも人に認められるような地位をつくりたい。
社会的地位の中には、子供の学業、本人の健康、分けても職業分野で成功することも含まれていよう。
これが日本版の現世の幸福であろう。
優秀な官僚たちはその実現者といえるであろうと思う。
従って功成り名遂げて身退くは天の道なりという。
退職金なしの低給与で働くとすれば、本当の意味でのエリートということになると思っている。