健康の意味

健康な肉体にこそ健全な精神が宿るという。それは真理だと思う。故にその逆もある。つまりある年齢になると、今までとは逆に、健全な精神が老いてゆく肉体を守ってくれるのではないか。健全な精神というものは、別に特別なものではなく、要するに気力の問題であろうと思う。肉体の実力の絶対最高値は、人生のある時の、ある瞬間に極められれば、後はただ下がって行くだけでしかなく、それをずっと維持できるものではない。ある期間必死になって、スポーツクラブへ通って、筋トレやランニングに励んだことがあったが、体力の衰えには到底抗しきれず諦めた。それが肉体の公理であり、それが人生の公理でもある。
端的に言って、年齢にかかわらず、いかにも年寄り年寄りしている人は、話してみると気力を失った人間が多い。逆に気力の溢れた人は、その年にかかわらず、いかにも気力に満ちた人間なのかがわかる。その気力を育み培うためにこそ、健康な肉体が必要というのが人間にとって公理になるのであろうと思う。そこにこそ、若い頃から肉体を鍛えることに腐心してきた人生的な意味が初めてあるという事だ。
また、日本社会の傾向として、一定の年齢になったら、いくら充実した気力と体力がありながらも、引退するのが常識だという考え方が強い。大変な努力を積んで人並を超えた人に対しても、否定的な感情を持つ傾向がある。エリートという概念は否定的に受け止められているている。「エリート臭い」と揶揄される。衆に抜きんでて何かをやってやろうという進歩的野心は抑えられがちだ。健康で野心的な気力を、高齢になっても持ち続けて、世のため人のために尽くせる人材が多い社会こそ、健全な社会と言えるのではなかろうか。人口減少社会を目前にして国家運営の方針として、新しい戦略を練り直し実行することが肝心のことと思う。

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