マキャベリに学べ
今、国会では石破首相の商品券配布問題で議論を戦わせているが、その追及に躍起の野党も一部の野党を除いて恐ろしくお粗末だ。世界情勢が激動する中、国家と国民のために議論しなければならないことが山ほどあるのにと思う。議論の優先順序としては、我が国の安全保障を考えると、まずはトランプの関税対策は喫緊の課題だ。それからロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の核武装、中国の軍事力の核戦力増強、等々の核保有国に囲まれている我が国の安全保障を考察するにあたっても、石破首相は日本の進むべき方向を国民にいち早く示すべきだろう。国民の生命と財産を守るという政治家に求められる自覚が果たしてあるのだろうか。全く頼りないしもどかしい。
注目のトランプ氏は、日米安保条約に関して「米国は日本を守らなければならないが、日本は米国を防衛する義務はない」と述べて、条約の片務性に改めて不満を示した。日本周辺の核保有国に対して対抗するために、我が国も核武装の真剣な議論をすべき時ではないのか。核兵器保有が国益上有利なのは、北朝鮮を見てもわかる通りで、あらゆる援助を引き出そうとしているし、周辺国も最大限の譲歩を重ねている。直情径行のアメリカでさえ、核保有国を攻撃したことはいまだない。
マキャベリは動乱期における理想の君主について次のように説いている。君主は過去の偉大な君主の真似をせよという。その理由は、人間は殆んど常に他人の踏みしめた道を歩み、その行為に際して、模倣するものだとする。もとより他人の歩んだ道を完全に辿ったり、模倣しようとする人間の持つ能力に到達することはできないのではあるが、賢明な人間は偉大な人間の辿った道を常に歩み、卓抜な人間を模倣すべきであり、仮に自らの能力がそれに及ばないとしても、その場合、彼らの芳香に与ることが出来る。
統治条件は二つあるうちのどちらかである。
1、能力があり偉大であるか。
2、能力がなくても賢明であるか
過去の偉人の足元にも及ばなくても、賢明でありさえすれば、問題を有利に解決できる。
自分の力量を知らない人間、自省する能力のない人間、身の丈を知らない人間がトップになると、国(地方自治体も含む)は危険にさらされる。何故か。それは彼らは軽蔑と憎悪の対象になるからだ。
重要なのは歴史に学ぶ姿勢である。過去の偉人たちは危機をどう乗り越えたのか。大国はいかにして大国になり、滅亡国は如何にして滅亡したのか。
戦争の勝因と敗因を検討して後者を回避し、前者を模倣する必要がある。そのために平時においても、運命の変転に抵抗する準備を怠ってはならない。そもそも、平時と動乱期を明確に区切る基準など存在しない。石破首相は国民に国を守るための思い切った政策を示せと言いたい。今のままではリーダーに値しない。