[出来ない理由]を探すな
人は誰しも、理想や目標を掲げ、それを目指す。だが、理想が高すぎて失敗したり、或いは紆余曲折の中で目標を見失って挫折してしまうことがある。どうも、理想や目標というものは、それが高かろうが低かろうが、それが到達する努力の量はあまり変わらないのではと思う。そして肝心なことは、その地味な努力を継続できるかどうかに全てがかかっている。むしろ高い目標を掲げた方が、競争相手があまりいなくて成功しやすいかもしれない。
私もサラリーマン生活を30年近く経験しているが、会社における人事について思い出すことがある。役員を目指す人もその上を目指す人も、レベルの違いはあれ、ある意味では努力の量は同じという事のように思える。ほぼ全員が社内人事で悩んだり、トラブルに巻き込まれたりという場面は出てくる。しかしながら、最終的に最後まで高い目標を掲げ、社長になれると信じて疑わなかった人が社長になっているように思う。目標を実現できる人とそうでない人がいるのは、結局、目標を失わずに持ち続け、人生の紆余曲折の中で諦めずに進めたか、それを投げてしまったかの差に過ぎないように思う。どうも、目標を達成できるかどうかは、目標を高いところに持って、努力を持続できるかどうかの問題なのだ。
ところで目下、我が国の最大の問題は、人口減少問題の対策であろう。人口減少問題は、避けて通れない厄介な難問だ。このまま日本が衰退の一途を辿るとは思わないが、行政サービスもインフラも、人口減少の時代に合わせて作り変えねば、社会が持たない。従来の行政の対応は、婚活や定住促進等とお座なりの対策しかやっていない。この際、発想を変えて突き抜けたような施策を考え、実行すべきではないのか。例えば、施策立案に複数の若者を登用するとか。
このような難問の場合、それが自分の手に負えそうもない時、すぐに諦める理由を探し始めるものである。そして諦める理由を見つけるために相当の情熱をかける。その情熱をやりたいことに注げば、どんなにか物事は好転していくかと思う。物事を簡単に諦めるという傾向は最近の人に良く見られることである。これはその人がこれまでに、一つの事に命がけで真剣に取り組んだことがあまりないために、自分に出来ることと出来ないこと事がわからず、必要以上に臆病になっているに過ぎないのではないか。
「できない理由」など探し始めたらきりがない。日本の国のために命を懸ける。こうゆうことが人生の醍醐味になると思うが、どうだろうか。