同窓会で思う事

中学校の同窓会に出席した時のことである。親しかった友人の一人が、家が大きな農家で、しかも長男であったがために、心ならずも運命と割り切って農業を生業として頑張ってきた。ところが例の福島第一原子力発電所事故の影響で、農業経営の柱の一つであった椎茸栽培が、放射能の影響とかで廃業に追い込まれた。そのとき70歳を超えていたそうだが、約3ヘクタールの山林が、松くい虫などでやられていたので、それを開墾して畑にして大豆を生産することにした。一か所で3ヘクタールの大豆畑というのは、普通ではまず見られないほどのスケールの大きさであり、相当注目されたと思う。現在、我が国で食糧自給率不足の中でも特に問題なのは、小麦、大豆などの生産を国産で賄えないかという事である。ところが大豆を収穫した結果は、まったく採算に合わなくて、3年間耕作してついに断念したそうだ。小麦は約9割を輸入に頼っているが、これもまた国産では賄えなくなっている。それでも農家が生産しようとすると価格が安くて採算に合わない。友人は農業経営の難しさに頭を抱えることが多かったとのことである。結局、今は陸稲に切り替えたが、本当は小麦や大豆を何とか作って、日本のために寄与したいと再度工夫を重ねているという。
また、ある友人は庭師をしている。樹木の剪定を習得するために専門学校に通って、今やベテランの役に到達しているようだ。一人前の職人になるには十年はかかると言われているが、ホワイトカラーだったその友人は、わずか一年でさすがと言われるまでの技術を体得して、今なお頑張っている。最近になると同窓生も結構なくなる友人も多いが、友人にまつわる良い思い出を、お互いに積み立てておきたいものである。
会社の中や、学校の同窓会などで、卒業した学校や当時の成績だけで優越感に浸っている連中が中に入るが、問題はその後の人生をどう生きたかなのである。その後の人生を成功させる準備として学校で学ぶので、成績が良かったのを鼻にかけている連中のほとんどが、あまり成功している例が少ない。この農業を継いで困難に立ち向かった友人や、庭師として今なお活躍している友人は、貴賤に分けるとすれば、まさに「貴」だなと密かに頷いている。

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