政治家とは

何故、政治家になったのか。素朴な疑問を有権者に抱かせる国会議員が後を絶たない。滞納を繰り返した財務省副大臣、公職選挙法違反の可能性ある法務省副大臣、売春疑惑が報じられた文科省政務官と相次いで辞任した国会議員が続く。更に少し前には、競走馬の買い入れのために業者に金を無心した大胆不敵な国会議員もいた。エッフヱル松川、プライダルまさ子、ドリル優子なども。
「公務を取引やお金儲けに近づけてはいけない」これは政治論に取り組んだ古代の哲学者、プルタルコスの「政治家になるための教訓集」の中にある。プルタルコスは、政治活動は判断力と分別に根拠を据えた選択が必要だと強調している。家が政治家の世襲家系だから秘書や議員になる。何の用もないのに人が集まるから会合に出て、顔を売り暇をつぶすといった人々は、プルタルコス流では本来政治家になってはならないのだ。
岸田首相もそうゆう意味では政治家に向かない。自分の息子を内閣秘書官にした。その息子が、パリで公用車を使い私的な買い物をした。首相官邸で親族らしき人たちを集めて忘年会をした等々。公私の区別が厳密ではない。国民はそうゆうものに敏感なのだ。支持率が下がるのは当たり前である。
目下、日本を取り巻く環境は極めて厳しい。空前の円安。中国との関係で言えば、福島原発処理水の排出への言いがかりや、尖閣への嫌がらせ、日本人の理由なき拘束。ロシアのウクライナへの侵攻。中東問題の勃発。北朝鮮の拉致問題。国内問題も岸田首相の目玉政策である減税が国民に否定され、少子高齢化は留まるところを知らずといった状態で、有効な対策を取られていない。
人口減少問題は将来に向かって深刻である。総務省が発表した2022年10月1日の人口推計によると、日本の総人口は1億2494万7000人で前年に比べ55万6000人減少しており、12年連続での減少である。特に15歳から64歳の「生産年齢人口が」大きく減っている。このような問題についても明確に語る政治家は少ない。少子高齢化によって人が増えないという事は、その高齢者もいなくなれば、現象のスピードは一気に加速する。今でも寂れている街の風景はさらに進み、例え存続はできても、大幅な縮小は避けられない。我々も又、日頃からこの国難をどこまで意識しているだろうか。日々の生活に大きな変化がないと、どうしても実感が伴ってこない。国会の予算審議を見ていると、野党は与党議員のスキャンダルの暴露が殆んどで、肝心の政策論争は極めて少ない。
政治家の資格における最優先条件は、政策立案やその実行能力である。さらに日本人には「政策的力量と品格」の両者のそろった人物を求める気持ちが強い。それは、法に依る近代国家の意識(政策は法を通して実施される)と、道徳を大切にする共同体感覚(リーダーは人格者)との2つが、混合しながら生きているという事である。この両者はどちらも大切であるが、儒教的影響の残る日本においては、品格を重んじる気持ちが強いのではなかろうか。「不尽にして高位にあるは、是れその悪(わざわい)を衆に播する(ばらまく)なり」と孟子は言っている。

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