なにが肝心か

先週のミズノクラッシク女子ゴルフを見て、全員ではないが選手たちのけばけばしい服装や、度を越した茶髪や、大小さまざまなピアスを付けたのを眺めながら苦々しく思えて仕方がなかった。どうも、我々年配の男どもは、古いと言われるかもしれないが、いやしくもスポーツで優勝を争う緊張した展開を期待しているのに、こうゆう姿を見ると生理的な反発を感じてしまう。出場している選手たちは、ほぼ全員がピアスをしている。茶髪については、バランスが取れてまあまあマッチした人も、中にはいるが大半は似合わない。日本人には親から受けついた黒髪以外はないはずなのに、わざわざ度をこした色や薄汚くまだらな茶髪に染め替えるというのは、日本人としての、アイデンテイテイの放棄というより拒否なのだろうと思う。ピアス等は精神を統一して望むスポーツには、不用であり不利である。ある有名大学病院の産婦人科の教授をしていた人が言っていたが、長年かけて統計を取ってみたらピアスをしている女性は、驚くほどの高率で婦人病にかかるという。耳に穴を開けて耳を飾ると言うことは、自分で自分の体を傷つけて穴を開けることで、肉体的に繋がっている親と自分の関係を断ち切りたいと言う、衝動のせいだと誰かが言っていたのを思い出す。
そうだとすれば孔子の教えにある「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始なり」という道理への反発になるということになるわけだ。道理もわきまえぬ選手風情に、高額な賞金を提供するほうもほうだと八つ当たりもしたくなる。
話は飛ぶが、何処かの自治体の首長が育休をとることが議論になっている。それはやって出来ない話ではなかろうが、しかし、多くの人が違和感を抱くのは、組織のトップが「公」よりも「私」を優先すると言う姿勢に対してである。万が一、休暇中に大きな災害にでも襲われたら、適切な対応が可能なのであろうか。危機管理がキチンとなされていれば問題ないだろうと、いう人がいるかもしれない。しかしながら「責任」と「統制」と言う観点から考えるといいとは言えないし、トップとしての社会的責任をどう考えているのか疑問である。選挙で選んだ首長が、多くの市民が危険に陥っているときに育休でいなかったでは、選挙民の付託に応えたことにはならない。かっての日本人は「私」より常に「公」を優先した。だから世界の人々に尊敬されたのである。
いつだったか福田和也氏が辛辣で正鵠を得た「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」と言う論文の中で、幼稚というのは頭が悪いとか、物を知らないと言うことではなく、肝心なことについて考えない、何が肝心なのかが分からない言っていたが、今回の尖閣問題の国民の知る権利に対する政府の対応も、まさにその通りではないか。

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