国が危ない

議席を離れてから政治や行政なりを眺めていると、いろいろの出来事の背景や、現今の日本人の意識の根にあるものが透けて見えてくるような気がする。言葉で覆い隠しているつもりなのだろうが、多くの責任ある立場に在る層ほど、公より私が優先されているということがありありと窺い知れる。そしてそれに気づけば気づくほど、この日本の国は我々の子供の時代、孫の時代、一体どうなってしまうのかと言う気がして無力感に襲われる。我々の意識の中から、何か一番大切なものが欠け落ちていくような気がしてならない。
特に問題なのは、国民や地方にあっては住民をリードするべき立場にある政治家や行政を担当する側に、この国をどう導いていくのかという「志」が見えてこない。
昨今どこへ行っても、いい悪いは別にして、事業仕分けの話題が出る。実際テレビを見て感じるのは、まさに仕分け人のテレビを意識した政治ショーそのものであり、仕分け側の独善が目立つ。仕分けされる官僚側は、予算を国会で承認されてから執行するわけだが、予算の認可権者は国会議員である。国会議員が認可して、それを忠実に官僚が執行し、その結果が事業仕分けと称して文句言われたら、執行側の官僚側は立つ瀬があるまい。なんでこんな法的根拠のないものに、大騒ぎして多額な経費をかけるのか。これこそまさに、夢のような言葉を羅列するだけで、事足れりとするの民主党的体質そのものだ。しかも仕分け人の生半可な知識で、重大な国家事業が判定されることに、危惧を感じるのは私だけではあるまい。
昨年の事業仕分けで、次世代スパコンの開発が削減対象になり、仕分け人だった蓮肪行政刷新相の「2位じゃ駄目なんですか」の発言は我々を震撼させた。案の定、科学界が猛反発した。その結果が、早くも大きなマイナス効果となって現れてきた。世界のスーパーコンピューターの性能を競うランキングで、中国が世界一になったのである。
中国の国防科学技術大が開発した「天河一A]は、一秒あたり2507兆回の計算能力を誇るそうだ。日本は2002年にNEC製「地球シュミレーター」で世界一だったが、現在は、日本原子力研究所開発機構のスパコンの22位が最高で、目下世界一を目指して猛烈に開発中であるが、スパコン競争の結果は、事業仕分けの影響が大きいのが実情なのである。それでも政府関係者は蓮肪氏の責任を問おうとしない。問わないばかりか大臣にした。その民主党を選んだのは国民なのである。国民が自ら日本の危機を招いたのである。
一体これで日本はいいのかと考えるとますます虚しくなる。司馬遼太郎氏が亡くなる前に誰かとの会談で、この国はもう峠を過ぎたのではないかと慨嘆し、この国にこれからあるのはただ静かな停滞だけだと言っていたのを思い出す。司馬遼太郎氏がこの国に今もろもろの出来事の態様を眺めてそう感じるのはむべなるものと思える。しかし何とか其れを回避する可能性を、日本人独特の能力と感性を信じたいと思う。

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