成熟した大人
某薬局で薬剤師に文句をつけている、70代も後半になるかなと思われる人がいた。 何でも健康保険者証を忘れてきたらしく、押し問答を繰り返した結果、怒って薬剤師から処方箋をひったくって出て行ってしまった。 薬剤師の対応も問題があったようだが、最近こうゆう高齢者の姿を目にすることが度々ある。 この類の人は多分現役時代、組織の中で高い地位にいた人だろうと想像する。 そして定年後、自分のしたいことを見つけることが出来なくて、毎日が不満の塊なのだろうと同情してしまう。 自尊心が強くて、いつも威張って不遜で自分は尊敬されて当然だと今なお思っているのだろう。 年だけとって成熟しない人達だ。
司馬遼太郎が「坂の上の雲」で、大山巌の人柄について書いている。
「今日は大砲の音がしもうすが、どこぞで戦がごわすか」。 参謀部にふらりと現われて尋ねた話が出てくる。 しかしながら大山巌という人は、ぼんやりした人ではない。 幕末には自身で大砲を設計し、戊辰戦争で各地を転戦した戦略戦術のプロである。 のちに孫から、総大将の心構えを聞かれ「知っちょっても知らんふりすることよ」と答えている。
日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた作戦参謀、秋山真之は戦闘のさなかも双眼鏡を覗かなかった。 「視野が狭くなる。自分は肉眼で大局を知ればよろしい」と。
ややもすると組織の中で地位が高かった人ほど、某薬局で見た70代後半のような人物になりがちだ。 成熟した人間というものは、自分の立場を社会の中で考えるものだと思う。
人生の雑音には目もくれず、日々を謙虚にと心掛け、自然に笑顔がこぼれるような暮らしをすることが、成熟した大人の暮らしというものなのだろう。