東電の体質
東電福島原子力発電所の汚染水が、大量に海に流出した。 報道によると、地下水によるものばかりではなく、汚染水を貯蔵しているタンクからも漏水しているという。 このような事故が起きるのは、長期間に渡って楽な企業経営をしてきたから、会社全体が弛緩してしまった体質が起こした事故なのだと思う。 以前東電の社員と仕事上接触したことがあった。 土地の境界確認のための立会である。 きめられた時間に現地に行くと、東電の社員は誰一人来ていない。 30分ぐらいたってから一人二人と集まりだして、さらに一時間ぐらい遅れてやっと頭数がそろった。土地の境界立会に数十人が必要なのが東電なのだと思い、さすが東電は大会社だと思ったのを覚えている。 当方はたかが土地の境界確認だから、一人で十分ということだった。東電の社員に遅れた理由を聞いてみると、床屋へ行っていたとか、昼飯が長くなったとかの理由を悪びれることもなく平気で説明した。
バブル時代以前、名のある企業の社長とか、会長とか呼ばれる経営者は、人品骨柄卑しからぬ紳士が多かった。自ら滲み出る風格と重みがあった。 それが近頃の経営者にはなくなったと思っていたら、先日、東電社長と新潟県知事との会談がテレビで放映された。 東電社長をニュース映像で見る限りであるが、風格どころか見識さえ感じられない。他人の痛みや不幸を感じ取ることが出来ない不感症のような顔だ。 いかにも事なかれ主義の権化のような顔をしていると思ったのは、私だけではあるまいと思う。
東電の体質は、この社長の顔のように今もって直っていないのであろうか。
原発をめぐって「推進か反対か」という議論が依然としてあるが、国民の多くはもっとバランスよく、経済合理性も含めた観点で電力問題を考えていると思う。 原発全廃で電力不足に陥り、計画停電が相次ぐような社会は誰も望んでいない。 一方で100パーセントの安全を追求し、電力会社に巨額の投資を求め、電気料金が跳ね上がる事態も避けたいはずである。 したがって東電は国民のこうした思いを肝に銘じて、現在の課題を素早く処理して国民を安心させる義務があり、それが引いては原発再稼働の近道であると思っている。