松本幸四郎の弁慶

つい二、三日前の話であるが、テレビで歌舞伎俳優の松本幸四郎氏が、「勧進帳」を土浦市の市民会館で演じて全国、47都道府県での上演を達成したと言うことを報じていた。凄いことで、それも土浦市での達成というのも何かの縁ということで、急に歌舞伎なるものを身近に感じた。
松本幸四郎氏は、16歳で始めて弁慶を演じて以来、足掛け53年を掛けての快挙だそうであり、その感想を述べている。67才の現在もなお、「夢と言うものを持ち続けている」と言い、夢と言うものはただ見るものでなく「夢をかなえよう」といつも思い続けていると言う。また歌舞伎の世界では、役を演じるとは言わず、役を勤めるというそうだ。人を中傷することは誰にも出来るが、人の感動を与えるのは容易でない。感動を与えると言う、誇らしい仕事をさせてもらっているのが俳優である。その責任を果たすためにも、役を勤めなくてはならない。体調が悪い時でも「その日その日の弁慶を生きよう」と暗示に掛けて役になりきり、その瞬間、ただ一回の弁慶を勤めるという。まさに弁慶を演じるにこれ以上の人はいないと思う。
「勧進帳」と言えば奥の深い勇気ある男たちの物語である。富樫は弁慶の侠気を感じたが故に騙されたのではなく、弁慶の忠誠の前に、男として騙されてやったのである。そして弁慶は、そ知らぬ顔で去って行く富樫の後姿に向かって深々と頭を下げる。
現代は、密かな男の勇気と言うものが、無くなってしまった時代である。誰もが自分が如何に賢いかと言うところを、最大限に見せびらかそうとする。
しかし弁慶はそうではない。主人の命を救うことだけが最大の問題である。追う者と追われる者として対立するように見える富樫と弁慶の使命が、男の美学において合致する。そのとき二人は一言も言葉に出さず、お互いの立場を理解する。二人の世界は、極度に言葉少なにありながら、実は人間としての共感において、豊かに一致しているのである。
民主党の政治家にこのような気持ちが少しでもあれば、国益を損なうような事にはならないが、普天間にしろ、日韓併合100年の談話にしろ、国益に反してばかりしているように見えるのは、男の美学と言うものを知らないからなのである。
我々はなんと言われようが、このような男の美学が分かり合える社会を作りたいと強く思う。

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