死刑廃止論に反対

ここのところ、死刑廃止は是か非かの議論がさかんだ。 死刑執行は一年以上空白期間が生まれており、死刑確定者は120人と戦後最多となっているようだ。
平岡法務大臣は、死刑執行についてはこれから勉強しながら考えて行きたいと記者会見で語っている。 亀井静香国民党代表も、死刑制度について反対論者である。
しかしながら、例えば光野市の母子殺人事件等のケースを見ると、死刑以外にどうゆう方法で彼を罰することが可能なのだろうかと思う。
無期懲役刑だとしても、「生きている」ということは、「死んでしまった」ことに対して、比較にならないほど圧倒的な優位性を持つ。 彼は手を振り、足を上げて歩くこともできる。本を読み、絵を描き、自由に物を考えることもできる。
おまけに現代の刑務所は昔と違い、「人権擁護」の名のもとに、清潔で規則正しい毎日が送れるような制度が確立している。 これではいったい、死んでしまった者の人権はどう擁護されるのであろうか。 極めて矛盾に満ちている。 もし生かしながら完全に罪の償いをさせるとしたら、「死ぬほど」の苦役を生きている限り、続けさせるしかない。
しかし、そんな事は死刑以上に残酷な刑罰である。 むしろ死なせてやることのほうが、はるかに人道的といえるのではないだろうか。
死刑廃止論のひとつの論拠は、冤罪によって刑が執行されることなのである。
冤罪を防ぐには「疑わしきは罰せず」を履行することである。 少しでも疑わしい部分があるケースでは、絶対に死刑の宣告をしてはならないと定めておけば、取り返しのつかないミスは生じないはずである。
それよりも法の番人である法務大臣が、死刑執行は刑が確定したら6ヶ月以内に執行しなければならないと法律で定めているにも拘らず、執行していない方が問題であろう。法務大臣が明らかに法を犯しているのである。

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