相撲に見る粋の美

先日の日曜日、町内の寺、宝積寺で檀家主催の「豆まき」大会を、思いっきり盛大に実施した。 日頃から、近所間のコミュニケーション不足を心配していた住職の発案で、五年ほど前からスタートさせたものだが、今年は、大相撲から地元出身の  「高安関」、毎年来てもらっている 「荒鷲関」 を招待した。 例年300人から500人くらいの参加者が、今年は 「高安」 効果で、1000人を超えた参加者で大賑わいを呈した。 まさに老若男女参加で、世代間の交流も活発に行われ、所期の目的は達成されたものと思っている。
豆まきを終った後、両力士が境内に降りて、子供たちとの交流会を行い、子供たちの喜ぶ様子は圧巻であった。 サインをねだったり、抱き上げてもらったり、大騒ぎであった。
それにしても両力士の、紋付、羽織、袴姿の正装に、今更ながら日本の文化の美しさを、感じさせられた。 それは、その究極が、「粋の美」であろうと思う。 粋は他人に不快感を与えない言動を言い、他者があってこそ、自分があるというものである。それらの考え方に通底するものが、「礼節」である。 相撲はもともと神事であった。その後、武士道となり、「勝っておごらず」という敗者へのいたわりが重要とされた。 勝ち負けだけでなく、所作の美しさが求められるのである。
江戸時代は包帯はみっともないと言われ、将軍の上覧相撲には許可が必要だった。 稽古の稽は考えるという意味で、古は歴史を指す。 したがって歴史を考えるという事に、通じるものであるとのことである。

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