商売人の心得
商売をしている人なら、誰しも表通りに店舗を構えたくなるものだが、東京都民銀行の頭取を務めた故工藤昭四郎氏は、新しく支店を設ける時、例えば表通りより 「一歩下がった所」 を選んだという。 そんな話を聞いたことがある。
どの銀行も業務の性質上、午後3時を過ぎるとシャッターを下ろし、残金照合などの仕事に入る。 商店街がこれから活況を迎える時刻に、シャッターの降りたその部分だけ空気が冷える。 周囲に迷惑をかけないようにとの配慮なのである。
最近、これに似た話を聞いた。 表通りで繁盛していた評判の店が、あるとき、そこを畳んで、他え移ることになった。 誰もがもっと条件のいい場所で、商売を更に大きくしようとしているものとばかり思っていた。 ところが新しい店は、裏通りに引っ込んで、構えも小さくあまり目立たない店になっていた。
店の親父に聞くと、「大きくなりすぎて、目が行き届かなくなって、自分の商売ではなくなってしまった」 と答えたという。 この店の親父は、自分の目の届かぬもの、納得のいかぬものを、売れるからといって、世に出すなどもってのほか、と云う考え方なのである。
東京都民銀行頭取の故工藤昭四郎氏は、常に己の目を、宙の高みに於いて、自分の会社と周囲の空気を俯瞰できるかどうか、を考えていたのだろうと思う。 氏の経営者としての人品を窺い知ることができる。
また、規模は全く違うが、店の親父は儲けること、名声を得ることよりも、優先すべき価値を大事にしたのだ。 片意地をはる親父の奇行ではなく、我々が夢にまで見る、自分自身の生き方の理想とした、職人的な価値観、世界観の見事な実践である。
名声とか金銭は、歩いた後からついてくるものだ。 現代は、名声と金銭が欲しくて、歩いている人が増えているように思う。
無名に徹して、黙々と生きる人々こそが、この複雑な、社会を支えているのだとつくずく思う。