きまりごと
緑の息吹く節である。 風が薫る。 匂いは記憶の換気装置といわれる。 どこからともなく青草の匂いが運ばれてきて、不意に昔のことが蘇ってきて、なんとなく懐かしい思い出にふけることがある。 ところが先日久しぶりに電車に乗った。 いい匂いがしてきたので、匂いの出所を確かめるべく匂いの方向に顔を向けると、一生懸命に化粧の真っ最中の女性に出くわした。
電車の中での女性のお化粧には、全く目のやり場に困るものだ。
昔の学校は私服で登校することも、パーマをかけることも、スカートの長さを不当に短くすることも長くすることも、すべて厳しく禁止されていた。 人間は、決められた場所では、その目的にかなった行為をしなければならないということである。 つまり食べるという行為は、食堂などのきまった場所でしかしてはいけない。 廊下や通路は移動する場所だから、そこで立ち止まってお喋りをしては、ならないというのが決まりであった。 要するに人の迷惑になることは、するなということである。
それを今は、学校も家庭もきちんと教えなかったから、電車の中でお化粧したり、やたらに物を食べたりする女性や若者が増えたのである。 禁止事項を多くすれば、人間は自然に自分で何をしたらよいかを考える。 日本人の生活に禁止が少なくて、こうしてもいい、ああしなさいという甘やかしが多すぎると痛切に思う。
いつだったか、新聞に奈良市の市長が市議会の本会議中、ガムやアメを口にしながら答弁し、議会終了後に議長から口頭で注意された。 これなども甘やかされて育った、最たるものであろう。