土浦の誇り
伊能忠敬と云えば、我が国最初の日本実測図を作ったことで有名だ。 彼は五十歳を過ぎてから測量技術を駆使して、日本全土を歩いて地図作成と云う大事業を成し遂げた。 今でいえば会社や役所を定年退職して、第二の人生の仕事としてこの大仕事を成就したのである。
それを思うと、60歳定年後、悠々自適で「豊かな老後を」などと云っている高齢者(自分も含めて)は、とんでもない見当違いをしているのかもしれない。 労働力不足と叫ばれている現在、体力にみあった労働を積極的に引き受けて、若い人たちの重荷を分担すべきではないだろうか。
伊能忠敬は若い頃、「常陸国土浦の医師某につき、経学方医を学んだ」 と言われている。 伊能忠敬の生誕地は千葉県の九十九里である。 したがって、はるばると土浦まで来て経学と方医を学んだということだ。 いかに土浦と云うところが、一地方都市とは云いながらも、古くから特別な土地柄であったかということかを窺い知ることが出来る。
江戸時代寛文九年(1669)、老中土屋但馬守数直が土浦藩主となり、以後明治4年までの二百年間土浦藩の統治にあたった。 土屋家の石高九万五千石、草高11万石と云う豊かな財政力を持ち、人口七万二千人と当時としては大都市であった。 それからみると、現在の土浦市は、人口も産業も伸びていないということになる。