親の役割

ある高等学校で「自分はだめな人間だ」とアンケートに答えた生徒が、66パーセントという衝撃的な話がある。 同じ設問で中国が13パーセント、アメリカが22パーセントだそうだ。
世界価値観調査という73ケ国の調査によると、「親が子供の犠牲になるのは仕方がない」と答えた世界の親の平均は72、6パーセントだが、日本は38、5パーセントで、73か国中の72番目だそうだ。 子供や親の世界に何が起こっているのだろうか。 この問題の根っこにあるのは、親の側に原因があると思う。
江戸末期、日本にやってきた外国人が、日本の子供たちは笑顔に溢れていて、礼儀正しいと褒めちぎっていたそうだ。 さらに大正末期から駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と言っている。 
我々が育つ頃の親は、すべて子供中心だった。 自分は我慢しても子供には、出来るだけのことをする、そのような親のことを子供達は本能的に知っていた。 だから何かあると親を頼り、親の言うことはよく聞き、親に恥をかかせないように心掛けたものだ。
どうも日本人は重大な勘違いをしているように思う。 かって教師は、子供たちを教え導くという高い志があった。 自分のことを犠牲にしても、生徒のことを優先した。 
最近ある高校の教師が息子の入学式に出席して、入学してくる自分の担任の生徒の入学式を欠席した。 非難されて当然なのに、それを擁護する声が多いと云う。 日本人の意識は、かくも下落したのである。 韓国の乗客を置いて、自分だけ逃げだした沈没した船の船長と同列である。 
政府が言う女性の社会進出を 全面的に否認するわけではない。 否認するわけではないが女性の社会進出が、母親の責任を全くしなくていいということにはならない。 子供が物心つかないうちから、保育所などに丸投げしてしまうということは、親の責任を放棄しているも同然だ。 
子供はそんな母親の心の内を敏感に感じるものだ。 「サル学の中から学ぶことがある」 という。 母親に育てられたサルは、母親との接触がどうゆうものかを実感し、他のサルの母子関係も見ながら育つ。 だから親になってからも、きちんと子供の教育が出来るが、母親から隔離飼育されると子育ての方法が分からない。
人間は生まれた時から、民族の文化に囲まれて育つ。 その文化を大事にすることが大事なのではないか。 女性活力の促進は重要だが、その前にもっと大事なことがある。
子供が成長して基本的なこと、たとえば共感性、恥、罪悪感といったものを身につけるには、三歳までだと云う事を聞いたことがあるが、そのもっとも重要な幼児期を他人の手に委ねて、自分は仕事に集中すると云うことが、果たしていいことなのか大いに疑問である。 子育てはすべての仕事より、はるかに重要な仕事なのである。

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