街の明かり
先月久しぶりに京都を訪れた。 定宿にしている京都ホテルから歩いて四条通りへ出る。 夕方の六時を過ぎていたので、日はとっぷりと暮れていた。 八坂神社に程近い、切り通しにある小料理屋へ向かったのだが、途中の街灯がまるで真昼のように明るい。 以前から四条通りは明るかったが、それが一段と明るさを増していた。
アーケードの天井に従来からある照明のほかに、直径五十センチぐらいの丸い照明器具が増設されていて、多分、LEDだろうと思うが、強い光を放っていて明るさを倍増している。 明るいということは夜の街を華やかに彩り、活気が満ち溢れて通行人が活き活きとしているようにも感じられて、快い雰囲気を醸し出す結果になっている。 明るさは人々に安心感を与える。
地元の知人に聞くと、明るくしてから犯罪が減ったそうで、安全上も大きな効果があったと自慢げに話していた。
翌日の夜、七時頃土浦駅に着いたが、土浦駅前の暗さにまずショックを受けた。 しばらくこの時間に駅前に来たことがなかったので、気がつかなかったのか、京都四条の明るさに刺激されてしまったのか、いずれにしろあまりの暗さに衝撃を受けた。 タクシーで家に向かう途中、遠回りになると思ったが街の中を通るとさらに暗い。
中心市街地活性化問題で、いろいろ協議している話は漏れ聞こえてくるが、何よりもまず夜の街の中の明るさを取り戻すことが先決だろうと思う。 明るくなれば、人は明かりを求めて集まってくるものだ。 人が集まれば賑わいが生れ、居酒屋も小料理屋も食堂も喫茶店にも活気が生まれる。 軒並み閉まっている商店街のシャッターも開くかもしれない。 土浦駅前から亀城公園まで、徹底して明るくしたらどうだろう。 土浦二高生は女子生徒が多いので、安心して帰宅できるための対策は絶対必要条件だ。
消費者を取り戻し、商店の繁栄をもたらす為に、まず、街の中の明かりを取り戻すことが先決だろうと思う。