家族とは
多くの人は2歳児暴行死、父親逮捕の新聞記事に激しい衝撃を覚えたと思う。 児童相談所が父親の暴行から一時保護して、乳児院に入所させていたのを、事件の約一週間前に自宅に戻したばかりだったと記事にはあった。 この父親とは、はたして人間かと疑う。
県警の発表によると、頭に複数回、暴行された跡があって、外傷性くも膜下出血等で死亡させた疑いが強いという。
また、そのあとすぐ「長男は死んで捨てた」という父親が現れた。 捜査関係者によるととして、新聞は、母親も長男が出産後間もなく死亡したため、自宅近くに遺体を捨てたとしてある。
この両親も人間らしい姿はしているが、おそらく人間ではあるまい。
父親というものは、「子を殴ちしながき一瞬天の蝉」と父親の心境を如実に物語っている句がある。 俳人、秋元不死男の句である。 {蝉が鳴いている。何らかの理由で、父は子の頬を打った。 ほんの零コンマ何秒かの出来事だが、父親にとっては万物が静止したようなながき一瞬} だということだ。 子供の頬から赤みが引いたあとも、父親の手には痛みが残る。 親とはそうゆうものである。
それを暴行して、わが子を死に至らしめる父親がいたとはと絶句するしかない。
昨今は子供への虐待が後を絶たない。 「家族」 が失われつつあるのだと思う。 祖父母と親、子が一緒に暮らすことが少なくなり、核家族化が進んだ結果、「親子の絆」を育む時間や、「長幼の序」など大切なことを教える機会が少なくなったせいだ。 家屋という形は立派になったが、家族愛の心は失われてしまった。
大人から子供まで、教育の中身を早急に見直さなければなるまい。
「サル学の中から学ぶことがある」という。 母親に育てられたサルは、母親との接触がどうゆうものかを実感し、他のサルの親子関係も見ながら育つという。 だから親になっても子育ての方法が、きちんとしているという。 サルに限らず、動物の子育ては、子供が将来ひとりでに生きていくことが、できるようにということなのだそうだ。
人間は生まれた時から民族の文化に囲まれて育つ。 その文化を待期児童ゼロなどと言って、保育所づくりなどにばかり重点を置いていると、大きな間違いを起こすことになる。
「ご飯一粒にも、お百姓の心が籠っている」という言葉も消えた。 「お百姓さん」も農家の生産者に変わった。 そのようなことがすべてに、問題を起こさせているのだと思う。