何気ない行為

 つい先日のことである。 新装なった東京駅前のあるホテルに入ろうとしたら、中から出てきた若い女性と正面から鉢合わせしそうになった。 その女性は、一見まるでフアッション雑誌から抜け出してきたような、とてつもないほどの美人であった。 こちらの方が少し早かったのだが、相手はこちらに気がつくと、やにわに小走りになり強引に入口に突っ込んできた。 仕方がないので、一歩横に避けてやり過ごしたが思わず顔を見てしまった。 いずれは子の親になるだろうが、こうゆう人の子供はどうゆう教育をされて、どうゆう子供に育つものなのかなと、想像をめぐらしながらロビーに入ったものだった。
我々年代の大人は、子供の頃よく母親から教えられたことに「肩寄せ」というのがあった。 狭い道路で人と行き違う時には、お互いに肩を進行方向に対して斜めにして、道の片側に寄らなければならないというのである。 雨の日に傘を差して行き交う時などは特に思いやりが必要だろう。 
中谷宇吉郎氏の随筆に「知性という言葉が、何か特別な高い教養にのみ結びついているように考えられがちである。 知性はそうゆう特別な階級の専有物ではない。 知性の一番わかり易い定義は、物事を考えたり行動をする場合に、自分以外の人のことを考え得る能力と云った方がよかろう。」という文章を読んで感銘を受けた覚えがある。
家庭の生活でも仕事の上でもそうだが、大切なのはむしろ些事である。 重要なことは慎重にやるし、準備も念入りにやるからミスも少ない。 その人の本性が出るのは、むしろ日常の何気ない行為であることが多い。 そうゆう行為は人間の本質から発するからである。