多数決の民主党

菅直人新首相の下での執行部体制がスタートした。
さっそく指導力を問われるのが、7月11日に予定している参議院の選挙日程である。
今国会で、郵政改革法案をはじめとする重要事項の審議がずれて、参院選挙の投開票がずれ込むと混乱が起こる可能性が大である。
連立を組んでいる国民新党が駄々をこねる恐れがあるからだ。
そもそも国民新党が目指す郵政改革法案は、民主党が審議をろくにせず、多数により強引に国会を通そうとしている案件である。
かって民主党は「郵便貯金の預入限度額を半減」を党の公約にしていたのに、今回の改革法案は預入限度額を引き上げるもので公約とは正反対のものである。
民主党は公約を破ったばかりか政権を担当したこの9ヶ月間、重要法案を通すための強行採決を何度も繰り返した。
民主党は野党時代に自民党が行う強行採決に対して批判を続けていたはずだ。
これはいつか来た道である。
民主党の前幹事長である小沢一郎氏は「民主主義の定着のために、参院選の勝利を目指す」と、幹事長を退任した現在も、尚、力説している。
小沢氏も民主党も、つまり民主主義というのは「多数参加と多数決」と認識しているのである。
これは多数性を最高の価値とみなすことになり、「少数派の排除」に痛痒を感じないということである。
場合によっては少数派のほうが、より勝れた特性と知性を有していると言う可能性は一顧だにされない。
彼らに言わせれば、多数派のほうがより多くの知性を有していると思っているのである。
そうゆう幼稚な判断に立つものだけが、「民主主義とは多数決だ」と言い張っている。
議会とはすべての議案に対して、過去の経験を今という状況においてどう具体的に解釈し、いかに具体的に活用するか、それを国民に少しでも説得的なものにするために討論する場なのである。
そこで多数決が行われるのは、状況対応の便宜に過ぎない。
最近の国会で見られるのは、これとは程遠い民主党の小沢氏の指導の下、野次と採決のみである。
これら無法と呼んでよい「議論の府」を菅新首相にはまず正してもらいたいものである。

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