原発の安全と安心

 「安全」と「安心」という言葉はよく使われるが、その定義はあまり説明されない。 これを今回の原発事故に当てはめて自分流に解釈すると、「安全」とは科学技術上ここまで対応可能なら、あるいは、ここまでの基準を満たしているものなら「大丈夫」というものと考えて良いだろうと思う。 
「安心」は危険度〔リスク〕がゼロであって云いうるもので、多少でもリスクがある以上、国民個々で受け止め方に大きな差がある。 
よく「安全」と「安心」と云うが、これはまったく別の問題なのである。
日本はいま多くの先端科学技術の恩恵に浴する中で、国民生活が営まれている。 飛行機や自動車、高速鉄道など交通手段の高度化と多様化、携帯電話やインターネットなど通信手段の超便利化と低価格化。 生活やビジネスのインフラは、歴史上かってないほどの進化を遂げている。
 原発問題を考えると、核分裂反応をエネルギーとして利用する原発は、それ自体がリスク存在ではある。 そのリスクをうまくコントロールして、国民生活に豊かさをもたらすのが現代文明である。
今回の事故で、脱原発とか反原発とかいろいろな感情がある。 日本は、今、再度「坂の上」の雲を目指して、責任ある大国として力強く立ち直るのかどうか、という岐路に立たされていると云って過言ではあるまいと思う。
脱原発の世論は、科学を駆使し、自然の威力を克服することこそ人間の英知であるのに、原子力を持つことは悪なんだといった考え方をする人がいる。これは人間の英知を自ら否定していることになる。
事故を乗り越え、得た教訓を基に、世界の原発の安全管理に役立てることこそ、日本人に課せられた最大の責務ではないのか。