原発とは
脱原発の声が大きい。 しかしである。 人間の歴史はより便利なもの、より高度なものと工夫を重ね、荷車から自動車や新幹線や飛行機や宇宙開発へと進んだように、科学技術の進歩には限りがない。 そして人間は常にさらにその先を目指している。
原発とは近代技術の極地である。 近代技術は、どこかで人間の支配の領域を、超えてしまう場合が往々にしてある。 近代技術を支えるものは専門科学であるが、専門科学は常に一定の仮定のもとで、理論的な正解を出してくる。 ところが実際には、たいてい「想定外」のことが起きる。 というより、むしろ近代技術そのものが「想定外」を生み出してしまうのである。 そこで我々はひとつの逆説に直面する。 それは、近代技術はある「想定」をおかねば成立しないのだろうが、ほかならぬその技術そのものが「想定外」の事態を生み出してしまうということだ。 技術が高度化すればするほど「想定外」が、起きるリスクは高まるはずである。 我々はその途方もない危険を受け入れることによって、今日の豊かさを作り上げてきたということだ。
原発の将来は、日本の将来の選択にかかってくる。 脱原発は脱経済成長路線を意味するし、日本の国際競争力を落とす。 そのことを覚悟しなければならないのであるが、脱原発論者は、そこをどう考えているのだろうか。
資源に乏しく、地震等の自然災害が多い中で、一億以上の人口を有し、高度な産業経済を運営するためには、エネルギーの安定供給を確保しなければならないという厳しい現実がある。
この宿命を引き受けるなら、今なすべきことは脱原発ではなく、原発の安全の強化であろう。