乃木希典の母親は土浦市出身

 目下NHKのテレビで「坂の上の雲」が放映されているが、主人公の一人である乃木希典の母親が、土浦出身であることはあまり知られていない。 母親の名前は寿子といい、土浦藩士長谷川金太夫の長女として文政11年に生まれた。 天保5年寿子7歳のとき、 土浦藩主土屋寅直の息女、欽子が長州藩主毛利元運の奥方として腰入れの際に付き添い、そのまま長州藩にいるうちに、長州藩士乃木希次の後妻となった。 乃木家は代々長府毛利家に仕えた医師の家柄で、希次は生来、武士の気風が強く、たまたま、深川三十三間堂の通し矢の技術が見事だったのが毛利公の目にとまり、お馬廻りに抜擢されたばかりか、世子元敏、次子平六郎の教育係を務めた。
希次と寿子との間には、4男2女があり希典は次男にあたる。 比較的裕福な生活を送っていたようだったが、安政5年、希次は思いがけなくも国勝手を命じられ、江戸屋敷から長府へ帰る事になる。生来の正義漢で歯に衣着せぬ言い方が、藩の重臣のカンに触れたためである。 それ以来の乃木家は貧困生活に落ち込んだ。
しかしながら、子弟の教育は厳しかったようだ。 「人学ばずと雖も、道を知れ、みめ形なれ、ふりはいらぬもの、心に錦、花を飾れよ」が乃木家の家訓であり、寿子は子供たちの教育に全力を尽くした。 その結果が、あの高潔な乃木希典の人格を形成したものであろうと思われる。
乃木寿子の墓は、大手町の東光寺にある。東光寺はかっての土浦城南門の内側すぐの場所地にある。 ミカゲ石の台座に鉄筋コンクリートのすっきりした六角形の霊堂である。 土浦の名所として宣伝するのも面白いと思う。・
それにしても、土浦藩主土屋公の居城であった土浦城跡は、ほとんど整備されることもなく、ほったらかしにされたままの状態だが、少し考えながら整備すれば、美しくもなり、そこを中心に、街は昔ながらの風情を取り戻すこともできよう。 とは云え、近年の非情ともいえる社会構造の変革は、郊外に次々と誕生する大型店舗へ人の流れを呼び込み、中心街ばかりかその周辺も閑古鳥が鳴くような寂れだ。 「坂の上の雲」に便乗して、乃木寿子の「故郷土浦」で、人を呼び込むことも一興であろう。