潔く引き際を

昨日の国会答弁で菅首相は今回の大地震は「何しろ初めてのことなので」、と対策に問題があったことを認めたようだ。原発事故で体育館暮らしを強いられている被災民から、「もう帰るんですか」と怒鳴られた菅首相の辞書には、「引き際」という文字がないのだろう。身内からも「辞任論は当然」と馬鹿にされている。被災民にも国民にも仲間の国会議員にも馬鹿にされ、馬鹿の見本の記憶に永く残る首相になるのは間違いないのに責任をとろうとしない。民主党の議員は前首相もそうだし、失敗しているのに誰も「責任をとる」という二文字がないのは、どうしたことなのだろうか。そう言えば事業仕分けで、100年に一度の災害のためにスーパー堤防を無駄だと切り捨て、スパコンの開発を世界で一番でなくてもよいと予算を削減し、防衛官僚が説明する「第一線部隊の自衛官実員の充足を向上させる必要」を説いたのに対して、その必要性はないとして却下した蓮肪消費者担当大臣などは、本来腹切りものだ。今回の震災で自衛隊員の活躍は、枚挙に遑がないのは国民みんなが知っている。恥を知るなら責任を取れと言いたい。
それにしても、菅首相の馬鹿さ加減にはほとほとあきれ返るばかりだ。思いつきだけで軽はずみな発言を続ける。曰く「最悪の事態となったとき、東日本はつぶれる」「福島第一原発周辺は10年、20年住めないのかと言うことになる」。また極めつけは、首相官邸を訪れたJA福島の代表からイチゴときゅうりを差し出されて、「このまま食べても大丈夫ですか」と訪ねたという。
行政の長であり、本人の言う「ものすごく原子力に詳しい」と自負しながら「臨界とは何の意味だ」と聞いたという話も伝わってくる。こう聞くと菅首相は「無能」なのかと思うが、彼の経歴を見ると無能ではない。むしろ秀才の部類に入るのではないかと思う。
ではなぜ危機に際して指導力を発揮できないのであろうか。これは菅氏や鳩山氏個人の資質の欠陥というより、わが国の戦後民主主義の教育情報環境のなかから出てきた秀才たちだからこうなったのであろうと思う。鈍才だからおかしな政治的判断を下すのではないのだと思う。彼らは国民の義務を尊ぶ教育を受けてこなかった。国家主権の尊厳という教育を受けてこなかった世代なのである。だから彼らは国土と民生の安全を守るために、為政者は強くなくてはならないという道理を持っていない。従ってこうゆう指導者が多い民主党には、国家国民を守る気概も力もないのである。しかしながら、多くの国民は民主党を選んだ。取り返しがつかないことにならないことを祈るしかない。

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