東京〔江戸〕に直下型地震がきたら

今回の東日本大地震で山形、宮城、福島の惨状は、目を覆うばかりで気の毒でならない。一日も早い復旧を心から祈るばかりだ。一方、あまり報道されていないが内陸部での液状化現象もひどいものだ。道路か陥没したり、アスフアルトが割れたり、下水道のマンホールが地盤沈下のために浮き上がってしまったり、家が崩壊したり、屋根瓦や塀が倒れたりと大変なことになっている。特に、かっての沼地や湿地帯だったところを、埋め立てて宅地化したところが被害にあっている。
そんな中、ひそかにささやかれているのが、東京直下型の地震の発生である。東京は大半が埋立地だといわれている。徳川家康が、はじめて江戸へはいった頃、赤坂の溜池や上野の不忍池にも、江戸湾の海が入り込んでいたそうだ。現代の日比谷公園のあたりは海辺であった。その海辺に板屋根や、わら屋根の漁師の家が散在していたかと思えば、現代東京の姿とのあまりの隔絶に「夢を見ているような」思いがする。ある人の話によると、銀座のビルの地下にある酒場などで、水割りを飲んでいると、日と時によっては、海のにおい、汐の香りがどこからともなく漂ってくることがあるという。「むかしは、あの辺はみんな海の底だったのですな」とその人が言ったのを思い出す。東京直下型が来たときの被害ははかり知れない。
菅首相は、今回の地震対応の未熟さを非難されて、「自分としては、一生懸命にやっているけれど」とこぼしていると言う。何をやるにしても一生懸命にやることは当たり前である。野球でもサッカーでも一芸に秀でるには「一生懸命」の努力は必須である。問題は理にかなった懸命の努力が求められるのだ。単に「一生懸命」にやれば、成功が保証されるのなら苦労はしない。菅首相がやっていることは、何から何まで理にかなっていないのだ。要は能力が明らかに不足しているのである。無能なのである。一刻もはやく首相を辞めて貰わないといちばん被害を被るのは、国民であり日本国なのである。現下の危機が片付くまで、次の危機が待っていてくれる保障は何処にもないのである。

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