高齢者の活用

朝の散歩で気になることがある。空き家が目立って多くなってきたという事だ。つい先日まで、年配のそれでも非常に元気な老夫婦が、庭の落ち葉を掃いているのを見かけて、朝の挨拶をお互いにしていたのが、二、三日前にその家の前を通ると空き家になっていた。それが一軒、二軒ではなく結構な数に増えているのである。恐らく老人ホームへ移ったのであろうと想像する。町内が寂れていくのを実感する。
何の気なしに三省堂出版の新小辞林(1988年出版)を見ているうちに、ふと気が付いて「初老」を引く。「四十歳の異称」、年を取って体力が衰えはじめる時期。と記されている。戦前まで男女の平均寿命は五十歳以下だった。いまや日本は世界に冠たる長寿大国だが、一昔前は短命社会だったのだと痛感する。人生五十年時代では四十歳が「初老」なのは当然である。子供が独り立ちする前に死ぬ親も多かったから、「親孝行したい時には親はなし」の言葉にも実感がこもっていた。短命社会は、人口の多数を若者が占める社会でもある。明治維新や敗戦の国難を乗り越えて、経済成長を実現した原動力も、この若さだった。
あまり知られていないが、我が国には2015年だけでも39万人の移民が入っている。すでに独、米、英に次いで世界第4位の隠れ移民大国だ。政府が移民を大幅に増やそうとするのは、安い労働力を求める経済界の意向に沿ったものであろう。我が国の人口はこれから更に急減する。24歳から64歳の働く世代の人口は、今後25年間で1500万人減ると言われている。この人手不足を移民で埋めるわけにはいかないと思う。ヨーロッパでは「人道主義」により移民難民の流入に歯止めをかけにくくて、どこも荒れている。日本でも治安の悪化が心配だ。
現在の我が国の状況を調べてみると、人口のうち六十五歳以上の割合が、7パーセントを超えると「高齢化社会」、倍の14パーセントになると「高齢社会」と呼ばれている。7パーセントから14パーセントになるのに、フランスは150年、ノルウエーは92年、スエーデンは85年かかった。これに対して日本は、たったの24年しかかかっていない。経済同様、日本は高齢化でも先進国に瞬くうちに追いついた。したがって、日本が若さを失ってしまった今、頼りにすべきは中高年である。とりわけ、元気な高齢者に支え手になってもらうことが重要だ。だが、一方で高齢者のパワーを引き出し、活用する仕組みがあまりにも少ない。この半世紀で日本の平均寿命は、男性が19年、女性は22年も伸びたが、高齢者の定義は「65歳以上」のままだ。広辞苑では「初老」を「老境に入りかけた年ごろ」と記すようになった。急いで国も地方も、人生80年時代に対応した高齢者の定義の見直しと仕組み作りを急いだらどうかと思う。高齢者に働く意欲をどうしたら持たせられるか、真剣に考える必要があるのではないか。働くことに意欲的になれば、高齢者の心身も健全化が図れると同時に空き家もなくなる。明治維新や敗戦後の日本の経済成長は若者だったが、現在の危機は高齢者が解決する原動力になる、そうゆう循環を作れないものかと思う。