日本国憲法について

「日本国憲法を私たちが書いたことを、彼らは知らないのか」かってバイデン大統領が副大統領時代に言った言葉を思い出す。日本国憲法の内容は、独立国家・日本のための憲法というより、アメリカに占領されていた時に、アメリカによって押し付けられた憲法である。敗戦後の占領下にあり、間接統治とはいえ、事実上、主権を奪われた下で、連合国軍総司令部(GHQ)が極めて短期間に作成した憲法である。とても万全の法典と想定することはできまい。
作家の永井荷風の日記に「米人の作りし日本国憲法、今日より実施の由、笑うべし」S22.5.3日の記述とある。現在の日本国憲法が、昭和21年11月3日に公布されてから75年を迎える。日本人が自らの最高法規の出自をどう考えるか。普通の感覚の持ち主であれば、当然自分たちで作り直すと考えるのが自然だろうと思う。しかも日本を取り巻く環境は、厳しさと緊張の度合いを増している。立憲民主党や共産党は安倍政権下では憲法改正に応じられないとか、安全保障関連法廃止だとか主張して、世界の情勢などはまるで眼中にないかのようだ。しかしながら、現下の中国や北朝鮮の軍拡を見ていると、現憲法の空想的な平和主義は限界に来ている。中国の軍拡や北朝鮮の数回にわたる核実験、日本上空を通過する弾道ミサイルの発射などは、日本国民にとって重大な脅威である。
故江藤淳氏は9条2項を主権削減条項とみなし、交戦権の回復は戦争への道を歩むことではなく、日本が「自己の運命の主人公になる」ことだと主張した。現憲法は連合国軍総司令部(GHQ)草案では、国家の主権としての戦争と、交戦権が否定されている。主権を制限された国家が独立国といえるだろうか。
野党は憲法改正に絶対反対を言っているが、第二次世界大戦時にチャーチル英首相は、1930年代の英国のナチス・ドイツに対する融和政策を痛烈に皮肉っている。「何も決定しないことを決定し、優柔不断であることを決意し、成り行き任せにするということでは断固としており・・・・」。この融和政策がむしろヒットラーを慢心させ、第二次世界大戦につながったというのが歴史の教訓である。
京都大学の佐伯教授が指摘しているが、我が国憲法の問題点の一つは、憲法九条の「平和主義」と「国の防衛」の間に齟齬がある。平和の希求もよい。侵略戦争の放棄もよい。しかし九条が示すいっさいの戦力不保持は国家の安全保障に関わるもので、国家の政策を縛ってしまっている。憲法が国民の生命、財産を守る国家の安全保障と矛盾していては、基本的人権を保障する憲法の基本的な意義にも抵触してしまっているのではないのか。