きれいごと

猪や猿や熊などが、街中に出てきて人に噛みつくなどの被害や、農作物を食い荒らすなどの被害が頻繁に出ている。これらの動物に対して、大勢の警官や関係する人たちが、大捕り物を演じて、苦労の末やっととらえて山へ返すなどとしているニュースを、目にすることが最近やたら多い。熊などの攻撃で、大怪我した人もいるのに、間違っても銃殺などをしているのを目にすることはない。これは行き過ぎた動物愛護だろうと思う。人間の命より、猿や猪や熊の命の方を大切なもののように、扱っているように見えて、合点がいかない。
物の見方だから、千差万別あっていいとは思うが、このような解決方法にいつも疑問を感じている。
例えばであるが、毛皮を着るのに反対運動する人がいる。 日本なら毛皮なしで暮らせるけれど、厳寒の地では、毛皮なしではとうてい寒さを防げない。農業や林業の人たちにとって、トンビ、カラス、ウサギ、タヌキはミカンやイモを食い荒らす天敵である。サルやイノシシやシカなども、その被害は甚大で、生業として農業や林業にかかわる人たちの怒りは、許しがたいものがある。
毛皮を禁止しろという人たちは、牛、豚、鶏などの肉を食べない菜食主義者なのだろうか。人間が野獣によって、損害を被ることを別に気の毒と思わない人がいるということは、動物愛護ではあるけれど、人間愛護ではない。人間と動物を平等に愛するという概念そのものが、不可能だろうから、そこにお互いの生息のための区分を設け、区分から出てきた個体だけを排除するのが、極めて妥当な共存l共栄だろうと思う。甚大な被害を受けている農業や、林業に携わる人達は、何も悪いことをしていないのに、大きな損害を被っている。動物愛護を叫ぶ人たちが、損害を負担してくれるのなら別だが。