相撲に見る粋の美

地元出身の横綱、大関が同時期に活躍するなどという、奇跡のような出来事が、今後も起きるなどという事はまずあるまいとは思うから、相撲に対して否応なく興味をそそられる昨今である。
相撲には所作の美しさがある。横綱の土俵入りの美しさには、誰もが感嘆する。究極が「粋の美」なのだろうと思う。粋は他人に不快感を与えない言動が根底にあって、他者があってこそ自分があるという事。それらの考え方に通底するものが「礼節」になる。
ずいぶん昔の話になるが「世紀の誤審」と騒がれた一番があった。S44年の大阪場所の大鵬ー戸田戦である。物言いがつく際どい勝負は、戸田の勝ちと決まり、横綱大鵬の連勝は45で途切れた。テレビ中継のビデオでは、大鵬の足が土俵に残っていた。「誤審だ」と支度部屋に押し掛けた報道陣に、大鵬はこう答えたという。「横綱は物言いの付く相撲を取ってはいけない。自分が悪い」。大相撲の魅力を「抑制の美学」と評したのは、相撲ジャーナリストの杉山邦博さんだが、感情を胸に封じ込めた大鵬の言動がそれであろう。
一方、H29年の11月場所で、白鵬ー嘉風戦において、白鵬が勝負を不服として審判団に文句をつけ、長時間、嘉風に勝ち名乗りさせないで抵抗した。明治以降、100年の相撲史の中で初めての不祥事である。白鵬は、大相撲の歴史と精神を知らなかったのだろうとしか思えない事件であった。教育を怠った相撲協会の怠慢があったという事だ。
相撲は、もともと神事であった。「厄を払う清めの思想」が始まりだった。その後、武士道となり「勝っておごらず」という敗者へのいたわりが重要とされた。江戸時代は包帯はみっともないと云われ、将軍の上覧相撲には、許可が必要だった。稽古の稽は、武道、芸能、技術などを習い、考えるという意味があり、古は歴史を意味する。従って歴史を考えるという事に通じるものなのである。