政治家と大人について

我々が若い時分、60歳を超えた人たちの年齢は良くも悪くも、もっと老いて見えた。 若い者の目からそう見えたのではなく、確かにそうだったのだと思う。 平均寿命が延び、定年の延長によって社会的寿命も大幅に伸び、多分、みんなが若返ったのである。 この現象は、誰しもが等しく感ずるところであろう。 少なくとも我々がかって抱いていた、印象の8割ぐらいに、人間は皆、若返っていると思う。 30歳はかっての24歳、40歳は32歳、50歳は40歳、60歳は48歳というふうに、ほぼ間違いないのではあるまいか。 おそらく、これ程顕著に人生が間延びした時代は、かってなかったであろうから、我々は幸運であったという他はない。 文明の進歩により、我々は労せずして2割がた回春したのである。 2割がた若返ったという事は、裏返せば2割がたバカになったという意味でもある。 例えば、30代の男がスーツ姿で、背中にリュックを背負って、漫画を読みふけっているなどという、近頃よく見かける風景も、彼は昔でいう20代半ばの知能しかないのだとすれば、さほど不自然ではない。
問題は、彼等が社会人として政治や企業や家庭や組織に加わった場合、一体どのようなことが起きるのか。 又、その周辺の人々が彼等の行状をどう捉えるかである。
政治の世界で、北朝鮮の核問題、拉致問題が瀬戸際を迎えているにも関わらず、国会をさぼって18連休を楽しんだ野党の議員たちは、いまだに加計問題一色である。 野党議員達の、その判断の基準は、きわめて知識不足で幼稚でさえあると思ってしまう。 国家を国民を、そして国民の税金をどう考えているのか。 ルールを破って国会をさぼった報酬は、勿論返してもらわなくては済むはずはなかろう。 野党の議員たちは、議会と法廷の区別すら分からないのだと思える節がある。 議会で法案の審議をしないで、むやみに裁判じみた議論ばかりやっている。 緊迫する国際情勢よりも、拉致被害者家族の悲痛な思いよりも、倒閣ごっこの方が大切なのか。
今、日本は政治も経済もきわめて厳しい中にある。 一人一人が大人になって、考えを改めなければ、国が滅んでしまうと考えるのは大げさなのか。