木田余について(4)

木田余土地区画整理事業が、完成してちょうど10年になる。 町名も木田余東台として、新しい街が誕生した。 以前は霞ケ浦を一望する広々とした高台で、眺望は絶景であるが、田畑や山林ばかりの静かで平坦な田園地帯であった。 この台地に新しい生命を吹き込むべく、土地区画整理事業がスタートしたのが昭和60年2月である。 対象面積約70ヘクタールと県内でも最大規模の一つとして、各方面から注目を集めるなか、いろいろな難題を抱えながらも、なんとか事業は進められた。 完成時期はバブルがはじけた時期と重なり、事業を終結するための保有地売却がうまく進まず、資金不足と組合解散事務処理に理事長としては困難を極めたのを覚えている。 資金不足の一部は、理事をはじめ、関係者一同に負担してもらったり、土浦市や関係金融機関にも、お世話になった。 ここであらためてお礼を申し上げたいと思う。 現在は、戸建て住宅約700戸、世帯数約1500戸、居住人口約3500人と、土浦市を代表するモデル住宅地区に成長した。 最終目標人口は、人口密度を100人/ha×70・8ha=7080人であるから、まだ道半ばではある。 それでも、真鍋小学校の生徒数の約4割を占めている。 本事業は約20年の長きにわたって実施された壮大な事業であったし、その最大の効果は、土浦市の財政に大いに貢献していると思う。 地域のコミユニテイゾーンとしての役割を担う、総合福祉センター「ワークヒル土浦」も、地域の象徴として利用されている。 今にして思う事は、当時、筑波大学の江崎学長が、ご自分の住居兼事務所として利用したいと関心を示され、何回か拙宅まで足を運ばれた。 希望の条件が、筑波山と霞ヶ浦が見える処という事だったが、適当な対象地がなくて、その希望が叶えられなかったのが残念であった。 もしノーベル賞授賞者でもある江崎学長が、木田余東台に住まわれたらと思うと、この地域の発展はさらに促進されていたと思い、返す返すも惜しいことをしたと思っている。