紅葉の風景

京都というところは、不思議な町だと思う。茨城県南に住んでいるから、東京や横浜には殆ど異質感はないが、京都は何回行っても京都駅におりたったとたん、実に妙なことだが、はるけくもこの町へ来たという旅人の感懐が胸を占める。
その異質感は一体なんだろうか。 誰かが言っていたが、「そら、京ことばのせいや」。なるほど、てんめんたる京おんなのことばは、ちょっとした風情かもしれないが、しかしそれだけではない。 それが何か分からない。
高校時代の友人からメールが来た。京都へ紅葉見物に行ったらしい。少し前、健康を害したようだが、快復したので気晴らしのため京都中を歩いたという。八坂神社、知恩院、高台寺、銀閣寺、哲学の道、永観堂とおなじみのコースを経て、遠く「天の橋立」まで足を伸ばしたらしい。大分感激をしていたので、けちをつけるつもりはないのだが、「天の橋立」は子供の頃、祖父に連れて行ってもらったことがあり、子供心にも、こんなつまらない風景のどこがいいんだと痛切に思ったことがあった。こんなのが日本三景なら「安芸の宮島」にしても「松島」にしても、見なくても分かるとまで思い込んでいた。子供のころ植えつけられた先入主はロウコとして抜けず、大人になった今も日本三景は改めて見たくもないのである。
しかしながら、今年の京都の紅葉は、いつにもまして見事らしい。私は紅葉よりも新緑のほうが好きで、紅葉の好きな妻と意見が分かれる。したがって京都行きは桜のころと決まっていたのだが、一昨年紅葉見物に夫婦で行った。紅葉のメッカは東福寺という人が多いが、それより化野念仏寺から祇王寺、滝口寺と坂道を下りながら常寂光寺へと歩くコースがなんといっても最高だと思っている。大げさに何でも表現する癖のある私でも、これほどの色彩風景は、寡少な見聞の範囲内では最初のものであった。周囲を覆う多種類な落葉樹がそれぞれの固有色を発揮している。まさに文字通り鮮やかで、多彩な幻術をくりひろげているといった景観である。
しかもその舞台たるや、眼前の天と地を一切蔽うほどの壮大さである。
私は、京都の紅葉はここが一番だといつも思っている。

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