オヤジ天敵論

 自然界に生息するすべての動物には「天敵」なる脅威が存在し、その一方的勢力拡大を抑えてバランスを取るようになっている。 この「天敵論」を子供たちの世界においた場合、子供たちの「天敵」の役目は両親が果たすべきであろうと思う。 が、近頃の両親は、子供たちの「天敵」の義務を全く放棄しているように思う。 昔は腕白小僧とか、ガキ大将とか呼ばれる存在が何処にもいた。 しかし、彼らはオヤジとかオトナという「天敵」の脅威を十分に意識し、その意識の上に立って子供たちの世界の中で、彼らをリーダーとするひとつの秩序を形成していた。 
子供たちの世界では、自然界の「天敵」に会う前に、まず自然淘汰が行われた。 兄弟(姉妹)は特別の事情がない限り、通常5~6人、多いところでは1ダースと言って12人兄弟というのも結構いた。 したがって兄弟が多いから、ボヤボヤしていると自分の口に入るべきものまで誰かの口に行ってしまう。 肉など全くたまにしか食えないから、そのたまにの肉鍋の時は、一切れをご飯の下へ、一切れをご飯の上へ、一切れを箸にはさんで確保したものである。 このように生まれると同時に厳しい生存競争の中に放置されたから、自分でいろいろと考えざるを得なかった。 ところが、今は、まさに少なく生んで大事に育てようで、兄弟は精々2~3人の場合が圧倒的に多い。 しかも本当に大事に育てればよいのであるが、親はその大事な役目を放棄してしまっているのが現状である。 現代の子供たちには自然淘汰もなければ、「天敵」もいない、まことに不自然な世界に育った生物と言わざるを得ない。
昔の子供(自分たちの子供時代)の世界を思い出してみると、 毎日のように小学校に入るまでは群れをなして遊んでいたものだ。 そして、その群れには必ずサル山のボスざる的リーダーがいて、群れの仲間はこのリーダーの統率下に置かれていた。 リーダーの統率力は強力なもので、何事も絶対服従であった。 時には群同士でケンカすることもあったし、隣村まで出掛けて行ってケンカすることも珍しいことではなかった。 これらの群れは、暴力団のようにケンカばかりしていたわけではない。 この群れは、日常生活の中でいろいろな団体訓練をしていた。 特に思いで深いのは祭りの時である。 みんな朝早く、弁当(大体がにぎりめし)を持って集まる。 祭りの場所まで結構道程があるために、リーダーを先頭に2列縦隊になって行進していく。 そして祭りの最もよく見物できるところに陣取って、心ゆくまで楽しんで帰る。 昔はこのように組織や団体における生活の仕方を、経験、実地訓練によって教えられた。 こういう経験を積んでいると、ボスの恐ろしさを知っているため、人の話をガヤガヤ騒ぎ立てながら聴くなどという無作法は、許されることではないので、それこそ人の話を真剣に一言も漏らさないという思いで聞く。 
今はオヤジもボスもいなくなってしまった。 したがって、人間として基本的な最低限の礼儀や、作法や、心構え、といったものを教えてもらう場がなくなってしまった。 
現在日本の企業は、極めて厳しい環境の中にある。 外国企業の追い上げが年々急なのと、社会のニーズがますます多様化しているからである。 幸いアベノミクスで円安に振れてきたので、輸出産業にとっては良い傾向ではあるが、しかしながら依然として国際間の競争は厳しい。 今、日本企業で喉から手が出るほど欲しいのは、優れた人材である。
企業にいた者の経験として強く思うのは、今の子供たちは企業に入る前に何一つ、組織における生活の仕方を教えられていない故に、即戦力にならないのである。 即戦力にならないから雇用を増やせとか、正社員を増やせという要請にも、なかなか応じられないのである。
学校教育の尚一層の充実と、社会へ出たら即有効な常識を、家庭での躾の中で身につけた人を企業は欲しているのである。

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