急性脊柱管狭窄症について
昨年8月に酷い目にあった脊柱管狭窄症が、完治したとばかり思っていたが再発した。 今回のは前回のとは違って、急に足腰が麻痺したばかりか、両足の太腿の部分に激痛が走ったのである。 土浦協同病院に担ぎ込まれて、MRIを撮って診断した結果、急性脊柱管狭窄症と診断された。 とにかく両足が麻痺しているので歩きたくても歩けないのである。
こうゆう症状は、生まれて初めての経験なので、面食らった以上に極めて難渋した。 医者は入院した方が良いと云うのだが、入院しても薬を飲んで、ただ寝ているだけだというので家へ帰ることにした。 「何が何でも家へ帰る」と医者に啖呵を切ったので、激痛を我慢して、気力を振り絞ってよろぼい歩き、迎えの車に乗り込んだ。
後になって思ったのだが、医者の勧めに従って素直に入院するべきであったと深く後悔している。
何故かと云うと、両足が麻痺した状態で家に帰ると云う事は、想像以上にとんでもないほど大変なことであった。 日頃からスポーツジムへ行ったり、畑仕事をしたり、かっての野球少年時代の絶対的な体力に対する過剰なほどの自信から、両足の効かない事など、どれほどのことかと高をくくっていたのである。
妻の運転で、我家の門前までは順調に帰ってきたが、そこからが信じられないほどの困難を極めた。 門から玄関までは、かなりの距離の昇りの階段である。 足が全く動かないということは、頭で理解していても現実はかなり違う。 足が使えないので、階段を両手だけで攀じ登るのである。 階段は洗い出しの人口石である。 なにしろ吾輩の体重は、自慢ではないが80キロの重量級である。 攀じ登り始めて、間もなく手の皮が剝けはじめ、鮮血が噴き出してきた。 息は切れる。 妻も必死で支えてくれるが、何しろ80キロの体は女の手には負えない。 えらい時間をかけてやっと階段を登り切り、ほうほうの体で玄関まで辿り着いた。
もちろん手のひらと、指は血だらけである。それ以来数日間は寝たきりの状態になってしまった。 依然として両足の痺れは取れず、激痛も全く衰えない。 トイレの行くにも、食卓へ向かうのも、匍匐前進あるのみである。
思い起こせば、昨年の発病以来服用していた飲み薬を、医者の許可も受けずに勝手に中止していた。 完治したと自分で軽く判断していたのである。 今朝の読売新聞コラム欄に「墓はお参り、馬鹿はお前だ」とあった。
医者の判断を自分の思い込みで適当に解釈していた罰が当たったと思っている。 いろいろと考えた末、何とかこの痛みをマゾヒステイックな快感に替えられる方法はないものかと思う。