やっぱり原発しかない

 これまでの原子力発電は、クリーンで低コストの自前発電を確保する国策の切り札として推進されてきた。 50年の長きにわたって、多くの関係者の営々たる努力と数十兆円にも上る設備投資を行い、世界最先端の技術を誇ってきた。 
日本は、繁栄の中で気がつくと、いつの間にか無駄や虚飾いっぱいの膨張国家になってしまっていた。 制度疲労や社会の閉塞感の中を意識し、変革の必要性は説かれてきたが、問題先送りのまま、襲来した未曾有の危機の中で喘いしまっている。 国家の退場、国家の衰退とならぬためにも、必要な物の峻別を絶えず、また厳しく問うことが求められているのだと思う。 その証拠に今回の事故で、最も頼りになるはずの官邸の事故対策のお粗末さは、万人が認めるところである。
原子力を利用する以上、リスクはある。 そのリスクを承知の上で今後は、克服、制御する国民的な覚悟が必要なのだ。 
今回は津波により、大きな災害に発展した。 しかしながら安全対策に生かせる貴重な教訓も得られた。 それは初動における迅速な決断と、果断な処置が被害を最小限に食い止める鍵を握るということだ。 緊急時の責任体制と対処方法を明確に定め、必要な資材を適切に配置し、迅速な動員体制を整え、日常の訓練により、十分に習熟しておけば、同じ災害に直面しても今回のような事態は避けられる。
政治家は口を開けば、安心して暮らせる政治を約束するなどと、よく考えればいい加減だとすぐわかるような嘘をつく。 我々は、この際、安心して暮らせるなどと云う言葉の甘さの愚をはっきりと悟るべきだ。 いい年をした老人までもが、「安心して暮らせる生活」などと云う詐欺に等しい言葉を信じていた。 この辺でその錯覚を見定めたほうが良い。
日本人はあれだけの災害に遭いながら、物資の略奪もなかったし、汚職や騒擾もなかった。 配給の食料を整然と列をつくって受けた。 運命を分けあう精神は素晴らしいものだ。 世界中で日本国と日本人は、信じられないほどの賞賛をうけた。 厳しい天災の中にあって、このような静謐を保てる民族は他にはいない。 誇るべきだと思う。
したがって、優秀な民族と世界が認めるのであるから、我々は自信を持って今回の教訓を生かし、即応態勢を強化しつつ、腹を据えてこれまで通り原子力を利用して、日本の繁栄を築くしか活路は開けないと思っている。

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