政治家不信

 衆院選が告示された。 今、我が国はさまざまな危険に直面し続ける中で、国民が政治家に対する信頼を失ってしまっているのが深刻な問題だ。 政党が政策本位で形成されておらず、その時々の権力闘争による合従連衡の産物にすぎないことが、国民の賢明な選択を著しく妨げている。 各党とも異種の政策が混在し、特に保守と言われる人たちと、組合出身者が混じりあっている民主党にその傾向が強い。 政党内の力関係の変化に伴って、政党の方針が大きく変容するので、小選挙区制や比例代表制で政党を賢く選べというのは、木に縁りて魚を求る類のごとしである。 
さらに小選挙区制は、国民から候補者の資質によって選ぶ権利を奪った。 衆院選は政権選挙であり、政党本位で投票せざるを得ず、一党一人の小選挙区制では、どんな候補者でも選択の余地はない。 その結果、政権政党は選べるが、選ばれた個々の議員の資質には大いに疑問が残る。 政党の質、議会のレベルを決する上で、極めて重要な要素である「人物の選定」ができないような選挙制度は再検討されるべきである。 決められない政治を解決する手段は、いかにして良い人材を選ぶことができるかに尽きるからである。
過去6年間、総理大臣は毎年交代した。 特に、民主党の2代の前首相は、その統治能力が大いに疑問視された。 最近でも、10年前すでに組織管理能力のなさが証明されたはずの大臣が再び任用され、昔と変わらぬお粗末を繰り返している。 何故かくも統治能力の低い政治家ばかりが目立つのか。
今の日本に、かくもお粗末な資質しか持っていない政治家を選んでいるような余裕はないのである。 浮ついた人気者や扇動政治家ではなく、真に統治能力のある国会議員を国政の場に送り、国を立て直すことが緊急の課題なのにである。 人気はあっても能力の劣るものに投票をしないことを、皆で申し合わせしたいものだ。 小選挙区制という制度が最悪でも、能力のある政治家を選ぶ民度が国民になければ、この国には未来はないと心得るべきなのである。
「政治の本領は決断にある」と法学者であり、政治思想家でもあるカール・シュミットは述べている。 能力ある政治家を選ぼうではないか。

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