政治家の劣化は深刻だ
民主党政権は、中長期的なエネルギー政策を決めるにあたり、原発比率を 「0%」 「15%」 「20~25%」 の3選択肢を提示して国民の意見を聞いた。 それを踏まえて、「少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会の実現を望んでいる」と結論付けたと新聞にあった。
将来の電源に占める原子力発電の比率について、国民に意見を求める手続きを取る政府とは、一体どんな頭脳を持って政治家を名乗っている連中なのだろうか。 理解に苦しむ話だ。
原発がないということは、火力発電に頼らざるを得なくなり、少なくとも年間3兆円相当の化石燃料を余分に外国から輸入しなければならない。 化石燃料価格は原子力よりはるかに高いので、電気料金の値上がりは避けられなくなり、家計及び国家経済に深刻な影響を及ぼす。 企業の海外移転は加速され、その結果、産業の空洞化は一段と拍車がかかり、景気が冷え込み失業者が増える。 停電が日常的に起こる可能性は否定できず、その場合、医療機器が動かないとか、交通信号機が停止するとか非常に深刻な問題が想定される。 誰が考えてもそのくらいは思いつく話で、その影響の深刻さは計り知れない。 先日、「たかが電気のために」と、のたまったミュージシャンがいた。己はアメリカでふんだんに原発の恩恵にどっぷりつかっているくせにである。 。
このように国民生活に重大な影響を与えることに対して、確固たる信念を持たずに国民の意見を聞き、それによって政策を決めるなどという愚かなことを民主党政権はやろうとしている。
政治家というのは政策を決定する場合、安易に民意に従ってはならない。 政治家の仕事というものは、移ろいやすい民意や、熱しやすい世論に距離を置いて、過去と未来に責任を持ち、広い視野のもとに、冷静な判断を下すことにあるはずだ。
「民意に従う」「国民の判断を仰ぐ」ことが正しいなら、それについては、直接投票で決めればよいということになる。 ステレオタイプ化した世論メデイアが恣意的に作りあげた民意は、未熟な人々の間で拡大生産されていく性質をもっている。 非常に危険なものなのである。
人類の知の歴史が明らかにしてきたことは、民主主義の本質は反知性主義的であり、民意を利用する政治家を追い出さない限り、文明社会は崩壊してしまうおそれがあると、さる高名な哲学者が述べている。
また、あらゆる種類の複雑な問題について、一般公衆に訴えるという行為は、知る機会を持ったことのない大多数の人たちを巻き込むことによって、知っている人たちからの批判をかわしたいという気持ちから出ている。 このような状況下で下される判断は、誰が最も大きな声を出しているかで決まってしまう。 そんなものなのであるとも述べていた。
案の定、脱原発を主張する人たちは、激しいヤジを飛ばすなど、マナー違反者が多い。原発への国民の恐怖心を利用して騒ぎを大きくしようと画策する左翼や金持ち文化人、それに選挙目当ての政治屋どもだ。 したがってそれに踊らされている参加者が気の毒でもある。
大体、 「0パーセント」 「15パーセント」 「20~35パーセント」とする3案は、水力を含めて約10パーセントの再生可能エネルギー比率を25~35パーセントまで引き上げることが前提であるが、とても達成できるはずがないと考えるのが常識である。
いずれにしろ、政治家の劣化が深刻なのが深刻だ。