言葉が踊る
北九州市で22日午後、東日本大震災による宮城県石巻市の、 「がれき」 の焼却処理に反対する住民が座り込みをして、搬入を阻止しようとした。 反対者が問題視する 「がれき」 に含まれる放射線の数値は、焼却施設内で計測した結果、放射線量はすべて自然界と同じレベルで、問題ある数値とは程遠いものと判明した。
北九州市の人達だけでなく、多くの日本人が現地の苦境を忘れ、絆や支援の言葉だけが踊っている状況になってしまった。 大震災の 「がれき」 処理について、解決するには、日本中が分担しあうしかないのにと思うのだが。
そもそも放射線は、自然界に、常にかなりの量が飛散していると言われている。 大分前にテレビで放映していたが、ローマのトレビノ泉や、スペイン広場での日常的な放射線の数値は、日本の規制値の10倍だと言われているそうだ。 それにも拘らず、そこで一生を送るローマ人たちは丈夫で長生きをしている。
思い出したくもない話だが、昨年8月16日の「大文字の送り火」に、陸前高田市の 「高田松原」 の松でつくった護摩木を燃やす計画があった。 陸前高田市の人たちは、神事にかかわる火だからと、松をナタで割ってかんなをかけ、被災者が1つずつ願いを書き込んだ。 表皮を削り取っているから放射性物質は出て来ないはずだ。 しかし何人かの身勝手な考えの持ち主が、「セシウム」とか「ストロンチウム」と言った。 とたんに計画は撤回された。 陸前高田市の人達の心中は、いかばかりであったろうか。
「がれき」 を拒んでいる住民の最大の理由は、わが子への影響を懸念しているのだと思う。 であるならば、東北で暮らす被災者である子供たちはどうなるのか。 考えたこともないのだろうか。
厳しい環境のなかで元気よく、けなげに生活をしている東北の子供たちの映像を見ると、何とかしてやりたいと思うのが普通の人間の感情だろうと思う。 大量の「がれき」で苦しんでいる人たちがいる。 その苦痛を少しでも軽減しようと考えるのが、人間として当たり前のことだと思う。
言葉だけでなく、即、実行することだ。