教育に思う
不況が20年ぐらい続いている。 ここ10年間は、政、官、財のみならず、国民までもが改革を叫んでいる。 みんなで改革イコール改善と勘違いしたまま、改革フイーバーは政治、経済、社会から、国の礎ともいうべき教育にまで及んでいる。 優れた人材を育てなくてはならない教育で、憂慮すべきことだが小学生に英語やパソコンを教え、創造性や起業家精神を育み、生きる力ということでゆとり教育を実施するとしている。
小学生の頃から英語やパソコンにうつつを抜かし、本を読まず、ゆとり教育で力を低下させた人間に、日本の将来を託せるとは思えない。 漢字が読めず九九もできない人間に、どんな創造性が期待できるのか極めて疑問だ。
初等教育は 「読み書きそろばん」 と、わが国の尊敬する先輩たちは寺子屋時代に確立した。 民族の知恵であり、明治に見事な近代化を成し遂げ、小さな島国を世界第二の経済大国にまで押し上げた。 その原動力は言わずもがな教育のお陰なのである。
どうも、それが戦後おかしくなってきたようだ。日本の教育は戦後ずっと日本という国と、日本人という民族を解体させることに努力してきたのではないか、という思いが、最近ますます強くなってくるのを抑えることができない。 つまり「日本に悪しかれ」という願いを持った勢力が、日本の教育を動かしてきたのではないか。
そうゆう中、君が代の起立斉唱命令に従わなかった教師に、減給以上の重い処分を行う場合は慎重な考慮が必要だと、最高裁が判決で指摘をした。
私の知る限り、民主主義先進国ではこのような問題は起こらないし、起こりようがない。 それは国民が公の場で国旗に敬意を払い、国歌を斉唱するのは当たり前のことだからである。 国家は国民の生命、財産、幸福追求の権利を守るために存在するが、この国家と国民の間を実効あらしめる前提として、国民には国に誇りを持ち、国を盛り立てていく義務がある。 だから一般的にいって、国旗や国歌に敬意を払うのは当然なのである。 このことは個人がどのような政治信条を持っているかとは関係なく当てはまる。
オリンピックやサッカー等で国旗が掲揚され、国歌が流されたときに、そっぽを向くような国は存在しないのである。
現在の日本の教育の最大の問題は、生徒が国家に誇りを持ち、社会と自分との関係を深く考える「徳育」がなくなり、学校が知識の詰め込みだけを行う場になってしまったことである。 教育の再点検が日本が立ち直る近道だと思う。