公的サービスとは
大震災から3ヶ月がたって、なお、避難所生活を強いられている人が数万人とも言われている。岩手、宮城、福島三県の仮設住宅の必要戸数は約5万2千。菅直人首相は「お盆までには全員入居」を目標にしているが実現は不透明だ。阪神淡路のときも仮設住宅、今回も仮設住宅とまるで判で押したように、仮設住宅建設なのだが果たしてそれが最善なのであろうか。入居者の心情を考えると、それがベストとは到底考えられない。仮設住宅はあくまで仮設だから、そこで生活するというソフト面では不自由この上ない。断熱、遮音面では問題があり過ぎるし、第一狭すぎる。岩手、宮城、福島、三県には別荘を含む計32万の空き家があり、このうち6割が賃貸や売却を望んでいるというデーターがある。政府がこれを借り上げて被災者へ提供する等ということを、なぜ考えないのだろうか、不思議に思えてならない。被災者の不安を、少しでも和らげたいと思ったら、いろいろなアイデアが浮かぶはずだと思う。
今朝のテレビで仮設住宅入居の抽選に当たったのに、入居しない人が5割もいるというニュースがあった。理由は避難所にいると一切の費用を国が持ってくれるが、仮設住宅に入居すると、光熱費、食費、その他、身の回りのこまごましたもの全て、自分で負担せねばならないからというのがその理由だ。震災で家も車も流され仕事もない。家を新築したばかりで、その2千万円のローンは残っていて、どうしたらよいか判らないと天を仰ぐ人がいる。買い物しようにも金もないし、遠くまで行く手段がない。気の遠くなるような気の毒な国民がそこにいるのだ。いつも思うのだが未曾有の災害にあって、不自由な生活を送らざるを得ない国民や市民に対して、公的機関はこうゆう時こそ徹底的に救いの手を差し向けるべきではないのかと思う。勿論、仮設住宅に入居している人に対しては、生活費一切の面倒を見ることは当然だし、今後の生活ができるような仕事も作り出すことだ。被災者は国民の義務である納税の義務をキチンと果たしてきたまぎれもない仲間なのだ。おそらく全国の国民は、その負担は当然と受け入れると思う。
公的機関というのは、国や県や市によって考え方が違うのだろうか。被災地の一面に広がる膨大な瓦礫の処理は、国が全部やるといっている。ところがあるところでは、塀が崩れ道路に散乱していて、道路が交通の用に供していないのに、その瓦礫の処理を所有者にやらせたところもある。屋根瓦の処理についてもまちまちだ。飲み水の給水の仕方も、心配りが感じるところもあればそうでないところもある。放置された自転車の引取りを連絡したら、持ってこいといわれた。高齢の方々は、どれひとつ自分の手では対応できないと嘆いていた。いろんな声が聞こえてきているが、公的サービスというのをどう考えるかだ。税の使い方というのは、こうゆう時に使うためにこそあると思う。