日本の戦後の歩み
ロシアのウクライナ侵攻を見て、そのあまりにも凄惨な状況に、暗澹たる思いに駆られると同時に日本の戦後を思い出す。ウクライナは都市施設をはじめ、住宅等が破壊され、一面の焼け野原だ。果たして復興ができるのであろうか。出来たとしても相当長い時間と、莫大な,経費がかかるだろうと思われる。我々も、出来るだけの協力をするべきだろう。取り合えず、土浦一高連合同窓会のメンバーで、立教大学の教授で難民を助ける会の会長を務めている同窓生から、同窓会の方へ支援の要請があり、そこを通じて協力金を提供させてもらった。
振り返って日本も同じような目にあっている。日本の戦後の歩みも、今思えば大変なものであったと思う。あの焼け野原から、よくぞ復興できたものだと今更ながら感心する。復興の歩みを思い出すと、日本の場合、戦争で破壊されたのは、主に工場や鉄道、住宅などのハードウエアであった。読み書き算盤の能力や規律性や勤勉さなど、日本人のソフトウェアは破壊されなかった。このソフトは徳川時代に培われたもので、元禄時代には殺戮の気風を改めて、喧嘩や戦争は駄目と人々に植え付けた。享保時代には社会の秩序が重視された。時代劇はチャンバラが盛んであったように言われるが、実際には江戸時代の日本は、殺人事件などは極端に少なかった。一般の庶民にも読み書き算盤が広がり、日本人の識字率は非常に高水準になっていて、明治維新時代に読み書き算盤ができた人の割合は、当時の英国をしのいでいたといわれている。しかも、多くの人達は敗戦直後の食料や住むところに不自由をしていながらも、子供たちには学校へ通わせていた。したがって良質な労働力があったから、すぐ経済が回復した。これが「奇跡の復活」の要因の第一である。
次の要因は「金の卵」と呼ばれた中学、高校卒の人たちが集団就職で農村から大都市へ働きに出た。そして企業の現場力を強めた。同じものを大量に作る規格大量生産を徹底させた。電気洗濯機、白黒テレビ、電気冷蔵庫といった「三種の神器」が普及。量産効果で価格が下がり、国民の所得増でさらに物が売れるという好循環が加速した。モノづくりの進化は輸出の増加につながり、繊維、鉄鋼、自動車などが世界市場で販売を伸ばした。
アメリカのバックアップも大きかった。地理的に日本はソ連や中国に近く、西側陣営としては地理的に重要で、したがって、アメリカは日本に市場を開放し、技術も供与して日本をバックアップした。その間に日米経済摩擦など深刻な一時期もあったが、多くの日本企業はアメリカの市場を舞台に飛躍した。危機を乗り越えてきた反発力も日本産業の特徴だ。
公害問題が起きると環境技術を磨き、石油危機で省エネルギー技術を高め、円高に対しては、生産効率の改善を追い求めた。
しかしながら、現在の日本は、戦後と同様な危機的状況にあるように思う。我が国の人口は、これから急減する。深刻な人手不足になるだろうと想像する。この人手不足を移民で埋めるわけにはいかない。産業や社会のサイズを縮小せざるを得ないのだ。したがって生産性の向上を図ること。若者が結婚や出産に踏み切れるように、環境を整えることは目下の急務であると思う。政府は経済界に対し、非正規社員を正規社員に任用するとともに、二十年以上上がっていない賃金を上げることと、生産性を揚げるように強く促すことを早急にやるべきだろうと思う。あとは国防の力をつけて、国民の安全を確たるものにすることである。