実行力

何時のことだったかはっきり覚えてはいないけれど、ある学校の文化祭を見に行ったときの話である。オーケストラの演奏をやっていたので、つい立ち止まって注目していたら、感じの良い女生徒の指揮者がタクトを振っていたが、難しい箇所でテンポを間違え、音が混乱、曲がストップしてしまった。晴れの舞台でのミス、どうなることかと見ていたら、その女性の指揮者は聴衆に向かって「すみません」と一礼して、にこやかに失敗の原因を説明、「今度はうまくやりますから」と、わるびれずに再び演奏を始めた。そして二度目を無事に済ませて盛んな拍手を浴びた。聴衆の中のある父親。「息子の嫁にするなら、ああゆうタイプの子がいいね。人生、ヘマをすることはよくあることだ。大事なのは失敗してもパニックにならず、さわやかに立ち直る気質だ」。「男だって同じですよ」とある母親。「どんな秀才でも、たまにトラブルが起こると度を失って、笑いを忘れるような男は最低」。「役所や会社の仕事仲間もそうだなあ」と別な男性。「事がうまくゆかなかったような時、すぐ意気消沈したり、不機嫌になったりする奴は願い下げだね」。と、さらに話は飛んで、今の学校制度、試験制度が「間違いの少ない人間」を育てることのみに力を入れているのは問題ではないかという議論になった。「ミスのない子が優等生、という教育ばかりやっていると、社会でモノをいう独創性とかユニークさの芽が摘まれてしまいますよ」「子供の時から受け身一方の訓練をされるから、転任の挨拶で 「大過なく過ごすことができ~」 というような挨拶しかできなくなるのだ。「世間に出て、もっとも役に立つのは、危機対応力、失敗や不運をはねのける能力ではないか」と話が弾んだ。
数日後、中学時代の同級生と60年ぶりぐらいに偶然街中で会った。彼は農家の長男で、しかも、耕地面積が数町歩という大農家であったので、進学校に十分行く能力はあったにもかかわらず、家の事情で農業系の高校に進んで、ひたすら農業をやってきた。数年前の、まだ記憶に新しいが、松くい虫が盛んに松林を荒らしまわり、山林という山林の松が、壊滅状態になったときがあった。彼は数町歩の松林を伐採して、躊躇なく開墾して畑にして大豆の大量生産を試みた。数町歩という、見渡す限りの壮大な大豆畑だったろうと想像する。
大豆は、日本での生産量が少なく、消費に追いつかなくて最も増産を期待されている作物である。国産の大豆を日本のためにと、大げさではあるがそうゆう心意気に燃えて挑んだという。しかしながら、値段が合わなくて、三年頑張ったが、ついに力尽きてやめたという話をしていた。その3年間の悪戦苦闘の一部始終を聞かされて、強く気圧される思いがあった。野心に燃え、人生に何の疑念も抱かず、自分の仕事だけに没頭していたことがひどく意気地がないことのように思えて、密かに言い知れぬ感動と微かな劣等感を覚えた一瞬があったのを思い出す。彼は豊かな実行力の塊のような、人間の総合的な能力の持ち主なのである。

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