後継者の育成
ある会社の話であるが、先代の社長が一代で築き上げ、地元企業としては超優良企業といわれた会社が、2代目に社長のイスを譲ったらダメになったという例が最近多いのではないか。創業の社長というのは、殆どゼロからの出発であるから、猛烈に努力している。そして会社が軌道に乗り順調になると、収入も増えるので家族の生活も豊かになり、裕福の中で成長した2代目は、創業社長とは違う会社経営になる。
後継者、後任というのは、その本人も又、養成するのもなかなか難しい問題であると思う。前任者が優れた人で人気もあると、後任者はよほど頑張っても当たり前に認めてもらえない。これは良く言われる2代目の辛さである。
武田信玄があまりにも偉大であったがために、2代目の勝頼は「背伸び」せざるを得なかった。加えて先代の重臣たちは、何かにつけて「先代様はああされました。こうされました」といちいち批判する。勝頼でなくたって「俺だって先代に負けていない」と意気込むであろう。結果は周知のとおり、柵を構え、鉄砲を並べて待つ織田・徳川連合軍に無敵であった騎馬隊の無謀な突撃を繰り返して消滅してしまった。合戦史を塗り替えた「長篠の戦」である。
ずいぶん前の事であるが、今でも記憶に残る話がある。プロ野球の広島カープに阿南監督という人物がいた。常に首位を行っていて、当時は読売ジャイアンツも勝てなかった。その阿南監督に「快進撃」の秘訣は何ですかねという質問が解説者がしていて、それに対する阿南監督の答えが興味深かった。「私は特に何もしていません。前監督のやり方が素晴らしかったので、それを真似ているだけです。」「ほう、しかしそれでは前監督のコピーだと言われませんか」と問われると「ええ、コピーでもいいと思うんですよ。いいやり方は継いで行きたいです」
後継者は先任者の真似だけでもいけないし、やたら奇をてらってはなお悪い。まずは前任者の長所、短所を十分観察することが肝要であろう。
ことほどさように後継者を養成することは難しい問題である。
難しくしている要因の一つが、時の権力者は実力ある後輩を斬りたいという意識がある。己の座が脅かされるからである。政治の世界を見ていると一目瞭然である。権力意識を自己中心、自己顕示といった人間の性(さが)が邪魔をするのである。
人はいつかは消える。だが、人の世は永遠である。秀吉が死の床で、五大老たちに秀頼のことをめんめんと頼んだことと、すべてを諸葛孔明に託した劉備とを比べてみる必要があろう。