頭の柔らかさ
安倍首相が引退を表明した。後任は菅官房長官が有利のようだ。菅さんといえば頭が柔らかい人というイメージがある。ご存じのように近年は豪雨による災害が多発して、ダムの放流が話題になる。我々も知らなかったのだが、ダムは国交省、農水省、厚労省と所管が分かれていて、それぞれの省が管理をしていた。従って、いざと言う時の対応がまちまちであった。それを菅さんが一元管理にして、万が一の場合の素早い対応を可能にしたり、コロナの感染対策にしても、感染者が発生するのを待って検査していたのを、症状の有無にかかわらず、濃厚接触者に先手を打って検査が出来るようにしたりと、非常にフレキシブルに活動している印象があった。要するに頭が柔らかいのである。
「氷が解けたら水になる。では、雪が解けたら何になる?」。この答えは「水」も正解であるが、「春」もまた正解である。これは、頭の柔らかさをチェックするのによく引用されるが、後者の答えは、夢が感じられて実に素晴らしいと思う。そして自由な発想にとって、固定観念という壁を見事に飛び越えて、一層楽しくさせる発想である。
頭が固いという事は、「頑固である」あるいは「発想がワンパターン」また「形式やスタイルに固執する」という事だろうと思う。そして頭が固いことの影響は、多くの弊害を生む。
例えば、現実の変化についていけない。新しい視点が持てない。新しいアイデアが出ない等、数え上げたらきりがない。
要するに頭の固いという事は、様々な視点で物事を見ることができないことを意味している。 なぜ頭は固くなるのだろうか。それは専門家によると人間の頭の仕組みによるらしい。頭は繰り返しのパターンを覚えて類推する等、非常にうまくできている面があるが、そのパターンが「慣れ」になってしまうと、そこから逸脱出来にくくなるらしい。他人ごとではない。わが身を顧みて忸怩たるものがある。人間というものは、自ら絶えず脱皮変身を心掛けねば、マンネリズムの惰眠をむさぼる習性があるようだ。「脱皮出来ない蛇は死ぬ」の言葉がある。
要するに人生で大切なものは「慣れ」を否定することである。私達は日常生活を送っているうちに、あらゆることに慣れてしまう。慣れが頭を固化させ、クリエイテイブな頭の敵になり、人生を貧しくしてしまう恐れがあるという事を肝に銘じたい。