かっての土浦の街は(3)
昭和60年につくば市において、つくば万博が開催され、会場と土浦駅との観客輸送を目的として、現在の高架道路が建設された。高架道路は市の中心部にあった市営駐車場を閉鎖して、その跡に作られたもので、駐車場の規模は約500台の駐車スペースを有する大駐車場であった。街の中心部に立地しているという利便性から、この上ない快適な環境の中の駐車場なので、常に満車状態で、とにかく大勢の利用者で周辺は活気に満ち溢れていた。
駐車場に車を置いた特に家族ずれが目立つ買い物客は、周辺のデパート(京成、西友、イトーヨーカ堂、小網屋、丸井、駅ビル等)をはじめとする商店街に繰り出して、連日、縁日のごとき活況を呈していた。当時の新聞に土浦市の商圏は水戸市をはるかに凌駕して、茨城県全体の50パーセントを超えると報道されていたのを覚えている。従って、土浦市の賑わいは現在では想像できないほど活況を呈していたのである。
現在はこれらのデパートは全て移転してしまい、地元の商店数も激減してしまった。郊外に開店した大型スーパーの影響と、消費する人口減等の理由により、需給のバランスが大きく崩れてしまった。後継者不足もあって、閉店してしまった店も多くある。商店がなくなってしまったかっての中心商店街の通りは、夜間になると全くといっていい程灯りがなく、暗くて不安な通りと化してしまっている。特に女生徒の多い土浦二高生などは、下校時には不安を抱いているだろうと思う。
従って、これら課題の解決は時間の猶予はない。まずは街づくりの基本に戻ることだ。 土浦駅前の市役所は移転すべきであり、かっての商業施設に戻す事。中心部は再開発して市や県や国などの行政機関をはじめ、金融機関や大手企業の本社等の入居を実現する。旧水戸街道は歴史的な価値が満載しているので、それを生かした魅力ある観光資源に修復。亀城公園も南池袋公園や前橋市の遊園地のように、園内にカフエや屋台やあるいは美術館のような施設を作り、企業や住民に公園管理の一部を担ってもらい、一緒になって開放的な公園にすること等々、すぐに出来ることから始めてみたらどうだろうか。