もうすぐ立春
2月4日は立春である。今年の冬の寒さはいつもの年に比べて厳しいようだ。雪国からの便りを見て驚く毎日である。従って春を待つ気持ちが今年は特に強い。
春は「張る」から来たといわれる。草木の芽がふくらむ、張る。生きとし生きるものすべてに活力がみなぎる。
「立つ」は辞書に、事物がはっきりと姿を現す意味とある。雲や霧が立ちのぼる。虹がたつ。何か神秘的なものが忽然とたち現れる。
故に「立春」という言葉に明日への希望を思う。
「立春」に卵が立つと中国の古書にある。物理学の中谷宇吉郎は早速、自分の書斎の机の上で実験して「結論を言えば卵というものは立つものなのである」と書いている。上手に重心を取れば立つ。無論、立春に限らない。「世界中の人間は、卵は立たないと思っていただけのことである」と。
できないという思い込みが怖い。世の中を覆う閉塞感にも、そのきらいはないか。どうも世界の景気が短期間に、快復するとはとても思えない状況が続く。不景気が続くと、企業は生き残りのため、無駄を省き、労働生産性を高めようとする。労働生産性を上げるということは雇用が減る。ゆえに今後比較的長期にわたって、失業率は高止まりし、消費の快復を阻害する。今の政権は国民に対して「自信喪失」に拍車をかけているようで極めてたちが悪い。「成長」そのものを否定する悲観論を政策の根幹においている。我々は今こそ根拠のない悲観論を捨て、日本の実力をしっかり認識するのが、何より大切だと思う。目指すものは「最小不幸社会」ではなく「最大幸福社会」である。政治や行政の体たらくに呆れていても、悲観しすぎても得るものは少ない。
希望を持って諸改革に立つ。そんな春にしたい。