言い知れぬ 危機感

どうも世界の情勢をみると、現在の日本に、言い知れぬ危機感を抱かさられる。 緊張感と不安定の度を超す国際情勢とは裏腹に、国民の関心はもっぱら当面の問題(オリンピック開催、築地市場の移転、小池劇場等々・・・)しか、頭にないように見える。 アメリカの上院外交委員会に於いて、ある教授が興味深い報告をしている。 中国政府は、中国国民が民主化を求めて立ち上がった時に、「尖閣諸島」を軍事攻撃してくる可能性が極めて高いというのだ。 「尖閣諸島」は中国の核心的領土と主張しているので、日本を攻撃しても「領土奪還」という大義名分がある。 従って、「侵略戦争」ではないと主張できる。 これによって、中国人民の民主化を求めるエネルギーを、対外的な攻撃のエネルギーに転化することができる。
中国がもたらすこのような軍事的危機の増幅は、不気味である。 また北朝鮮問題も、大きな危機をもたらす。
このような中、我が国の民心が政治から離れてしまっているのが、問題なのだ。 政党が政策本位で形成されておらず、その時々の権力闘争による、合従連衡の産物に過ぎないことが、国民の賢明な選択を著しく妨げている。 各党とも異種の政策が混在し、時に政党内の力関係の変化に伴って、政党の方針が大きく変容する。 これを前提にして、小選挙区制や比例代表制で、政党を選べというのは、どだい無理な話である。 さらに小選挙区制は、国民から候補者の資質によって選ぶ権利を奪ってしまった。 衆院選は政権選挙であり、政党本位で投票せざるを得ず、一党一人の小選挙区制では、どんな候補者でも選択の余地がない。 その結果、政権政党は選べるが、選ばれた個々の議員の資質には全く疑問が残るのである。
政治家の質の向上を図ることは、喫緊の重大な課題であると痛感している。 そうでないと、日本の危機は防げないのである。

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