土浦協同病院が移転した後
閑古鳥が鳴いているとはこんなものなのだろうか。 先月までは何千人もの人たちで溢れかえっていたのが、今は、全く人がいなくなってしまった。 広大な駐車場は一台の車もない。 周辺の商店は早くも店じまいに忙しい。 引っ越した病院の跡は、周囲を白いシートで囲ってしまった。 薬局も同じように白いシートで覆ってしまっている。 なんとも侘しい光景である。 食堂や企業も、病院と何らかの関わりのあったものは全部引っ越した。 協同病院は約50年、真鍋新町で病院の運営をしてきているので、地元の街づくりは、すべて病院ありきで今日まで来ている。 地元の経済界や地元住民は、あまりの影響の大きさに、息をのんでしまっているかのようだ。 まるで街全体が、シーンと静まり返っている。
この状態は、あたかも土浦市の現状に酷似しているような気がしてならない。 どうも土浦市の現状から率直に受ける印象は、多少大げさであるかも知れないが、ただ、時の流れに身を委ねて繁栄し、滅び去っていくような源平盛衰記と重ね合わせてしまうのである。 これから街がどうなってゆくのか、 どうゆう街にしてゆくのか、そうゆう将来への設計図がまるで見えないのである。 多くの人たちは、今のままで、何もしなくても土浦の繁栄は、未来永劫約束されているかのごとく思っているのだろうかと疑ってしまう。 つくば市が着々と世界の最先端を行くかのごとく推進されているばかりか、周辺市町村がますます整備に磨きがかかる、一方、相対的に土浦の街に閑古鳥が鳴くようになっても、まだまだと信じている人が多くいるように思えるのである。
具合の悪い事に、そうゆう頑な懐古趣味をありがたがる人というのは、どちらかと言うと、街の指導者と言われる人に多いようだ。 従って、その人たちは古き良き時代の土浦を、大事にしたがるのである。
その懐古趣味にどっぷりつかっているうちに、街はどんどん取り残されてしまうことになる。 しかしながら最近の噂であるが、街の指導者と言われる層の人たちが、ひそかにつくば市へ住居を移していると聞くが、まさかそれはないだろうと思うが、本当だとしたら一大事だ。