ハイボールの復活
最近はハイボールが復活して、若者に人気があるようだ。 我々の若いころは、ハイボールぐらいしか飲めなかった。 受験に失敗して、東京の下町の安アパートのほの暗い電灯の下で、夜になると何人かが集まってきて、あまり明るくない話題を中心にしながら、何杯も飲んでいたものだ。 ウヰスキーは角瓶と決まっていて、氷とソーダ水を加えて飲んだ。 したがってハイボールには、うら悲しい思い出しかないのだが、今、明るい電灯の下で飲むハイボールは、レモンやいろいろな香料が入っていて、当時とは比較にならぬほど美味くて美しい。
最もウイスキーと言えば、当時、スコッチで知られていたのはジョニ赤、ジョニ黒くらいなもので、ハイソサイテイーでも、莫迦の一つ覚えのように、オールドパーを最高級と信じていたものだ。 海外旅行帰りのお土産がシーバスリーガルとたいてい決まっていて、それをもらうと貴重品のようにして飲んだのは、それから十年もたってからだった。
それでも若いころは、楽しかった。 明日への期待があった。 貧乏で苦しかったが、本当に心底から頑張ったものだった。 そんな中で飲むハイボールは、胸に染みた。
テニスの錦織圭選手は13歳でたった一人でアメリカに渡った。渡米した当初は、いろいろな嫌がらせを受け、英語で言い返せずに、泣き寝入りする日が続いた。 体罰もいじめも決してあってはならない。それでも思うときがある。
「若い時の苦労は、買ってでもせよ」 「艱難汝を玉にす」。 昔からの格言は、現代の若者にも十分通用する。